簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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逢坂越え(東海道歩き旅・近江の国)

2024-07-17 | Weblog
 旧東海道が国道1号線と合流する辺りに、「安養寺」がある。
浄土真宗の寺院で、本尊は行基作の阿弥陀如来座像、古くは関寺とも呼
ばれていた。門前に「円満院宮/三井寺南別所蓮如上人舊跡」と書かれ
た碑が立っている。



 大津宿も安養寺の有る辺りまでで、今日の道沿いの家並みもここから
は乏しくなる。上り坂が続き、本格的な逢坂越えの峠道である。
その道中には「関蝉丸神社上社」に続き、「逢坂山弘法大師堂(弘法大
師御舊蹟)」等がある。



 最初の「関蝉丸神社」は、逢坂山トンネル東口近くにあった。
蝉丸神社は市内に三社あり、この先逢坂(おうさか)一丁目の国道1号沿
いに在るのが上社(かみしゃ)だ。
又、国道沿いに在るのが下社(しもしゃ)で、大谷町には分社が鎮座し、
三社合わせて「蝉丸神社」と言うらしい。



 祭神は猿田彦命と琵琶の名手の蝉丸霊を合祀していて、音曲芸道の祖
神として信仰を集めている。
 蝉丸は、平安時代の琵琶の名手で、今昔物語や謡曲「蝉丸」によると、
目が不自由でにもかかわらず、音曲の神として崇められていた。



 逢坂越えは京の都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つ
の主要道路が集中する東海道の重要な要衝である。
物資が集散する瀬田から大津宿一帯、更には逢坂にかけては、人と物が
集中し、街道一の繁栄を極めたと言われている。



 今は山間の切り通し地に、国道1号線と京阪京津線が併走している。
往時に比べれば峠道は切り下げられ、可成り低く均されたと思われるが、
それでも鉄道に取っては沿線最大の難所と言われている。
半径45mの急カーブに続いて、高低差のある逢坂山トンネル(250m)も
あり、さながらここでは山岳鉄道の様相だ。(続)





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