簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

長丁場 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-11-16 | Weblog
 中の町を後に、浜松宿を目指す。
既に浜松の市街地に入っているのに、旧街道は中々宿場の中心に行き着
かない。思った通り、宿場間4里7丁(16.5㎞)の道のりは、うんざり
するほどの距離である。



 市内に入ると街道筋には、中の町村長を務めた歌人で、嵐山光三郎が
薫陶を受けたという「石垣清一郎」の生家があった。
二人ともよく知らないが、こうして旅をしていると、世の中には余りに
も知らないことが多すぎると、つくづく痛感させられる。



 中の町東入口の「東橋跡」、明治末から昭和の初めに浜松から中の町
間を走っていた「軽便鉄道軌道跡」等のサインが立っている。
金原明善は、明治時代の実業家で、天竜川流域の植林事業に貢献したと
言い、その生家も街道筋には残されていた。



 道筋にあるこれらのサインは、長丁場の疲れを紛らわせてくれる。
しかしこうした街道に取り掛かると、始めのうちはこうしたサインには
目もくれず、ただただ先を急ぐ余り、黙々と歩くだけになる。
で当然の事のように、写真も少なくなる。



 街道歩きでは、長丁場に限ってのことではないが、休憩できる場所が
あるのか、特にトイレは大丈夫だろうか、食事処はあるのか、等何かと気
にかかる。今時コンビニがどこにでも有るではないか、と言われそうだが、
それは町中の話しで、無いところには本当に何も無いのだ。
特に長区間では、途中に大きな町がないと、気を揉む事になる。
しかしこうして目的地が近づけば、余裕も出てくるから現金なものだ。



 街道筋の所々では、街のランドマークタワーが見え隠れしているから、
中心地が近いことは間違いない。
馬込一里塚を過ぎ、馬込橋を渡り新町に入るとこの辺りが東の木戸跡で、
東海道はいよいよ浜松の宿内へと入っていく。
やはりこの4里以上の距離はとてもとても長かった。(続)





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