簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

児島三郎高徳(JR乗り潰し・姫新線)

2018-02-16 | Weblog
 児島三郎高徳は備前の国児島郡林村に生まれ、鎌倉時代末期から
南北朝時代にかけて活躍したとされる人物であるが、「太平記」以
外にはその名が認められないとの理由から、実在性を否定する学説
もあり、謎を秘めた人物である。


(五流尊瀧院)

 一説には天皇のお俊胤であるとか、この地の豪族の三男として誕生し
たとか、またその出自は山伏とも言われ、倉敷市林に所在する修験道の
総本山・五流尊瀧院の門前には「生誕地」の碑が立てられている。


(船坂峠)

 高徳と言えば、凡そ700年前元弘の乱に敗れ、鎌倉幕府によって隠岐
の島に流される後醍醐天皇を奪還せんとし、備前の船坂峠に一族郎党を
引き連れ200名あまりの兵を挙げた人物として知られている。
山陽本線の船坂トンネル上の旧道には、顕彰の石碑が建てられている。


 高徳は「義を見てせざるは勇無き」と大軍を起こし、名を子孫に残そ
うとした。この地で天皇を奪還せんと一行を待つも、予期に反して道筋
を読み間違え、慌てて播磨と美作の国境の杉坂峠に駆け付けるが、その
時すでに遅く一行は美作街道から院庄に入り、作戦は失敗する。



 諦めきれない高徳はせめて志だけでも天皇の耳に入れたいと、夜に
なって一人ご在所に忍び込み、庭の桜の木にあの有名な10字の詩を書
き残したのである。



「天勾践を空しくするなかれ、時に范蠡(ハンレイ)の無きにしも非ず」



 その忠義心を讃えんと創建されたのがここ作楽神社で、境内には100本
余りのソメイヨシノが植えられ、今では桜の名所としても知られている。(続)

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