簾 満月「バスの助手席」

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世界かんがい施設遺産・倉安川(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

2023-10-09 | Weblog
 湊駅を出た鉄道は、その先の上平井駅に向かう。
倉安川の鉄橋を渡ると、すぐ南の県道倉安川交差点で県道を離れその
西側に入り込む。
県道沿いに大型のスーパー、ホームセンターが立ち並ぶ地域である。



 倉安川は江戸時代に開削された人工の運河で、東部の吉井川と中央部
の旭川を総延長約20kmで結んでいる。
 岡山藩主・池田光政が、延宝7(1679)年に、郡代・津田永忠に命じて
掘削に当たらせた。工事の詳細は未だ明らかではないが、僅か1年で終
えた事から、何らかの既存の川を利用したとも言われている。
その竣工は、スエズ運河やパナマ運河よりも早い時期である。



 この頃藩では干拓工事が頻りに進められ各地に新田が開発されていた。
結果、田畑を潤す水の不足は深刻で、安定した確保が必要であった。
また当時は、児島を廻る瀬戸内海経由で年貢米輸送が行なわれていたが、
その短縮路としての期待も込めて運河が開削された。



 工事の難題は、吉井川と旭川の高低差4mをどう克服するかである。
奉行の永忠は、吉井川の出入り口に舟通しの水門を設け、高瀬廻しと呼
ばれる船溜りを作り、倉安川側にも水門を設ける事で問題を解決した。



 水位の高い吉井川から船を入れる場合、倉安川水門を閉めて船を入れ、
その後吉井川水門を閉め、倉安川水門を徐々に開けながら水位を調節し、
水位が揃ったら船を出す。
 所謂閘門(こうもん) 式と呼ばれる施設である。
吉井川には、日本最古の「倉安川吉井水門」が現存している。



 水に纏わる研究をされる現天皇は、皇太子時代ここを訪ねられている。
又令和元(2019)年、「倉安川・百間川かんがい排水施設群」が、国際
かんがい排水委員会により「世界かんがい施設遺産」に認定された。(続)



(上二枚写真は「倉安川吉井水門」)



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