簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

関の小萬のもたれ松(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-07-19 | Weblog


 「♪♪ 関の小萬の亀山通い 月に雪駄が二十五足
関の小万の米かす音は 一里聞こえて二里ひびく
馬はいんだにお主は見えぬ 関の小万がとめたやら
昔恋しい鈴鹿を越えりゃ 関の小万の声がする ♪♪」(鈴鹿馬子唄)



 鈴鹿川の支流、小野川に導かれるように大岡寺縄手を外れ、右にカー
ブして関西本線の踏切を越える。隣接する国道1号線に出でそれも越え
左折して、暫く国道の歩道を歩く。

 嘗て丸太欄干の付いた14間ばかりの板橋が掛けられていた、小さな
小野川橋を渡ると右にそれる旧道が見えてくる。



 旧街道を入ると直ぐに「東海道五十三次 関宿」の看板が建ち、右側
には車で訪れる観光者向けの駐車場と小公園が設けられていた。

 前方の山並みに因んだ解説板には、「羽黒山のふもとにある、国史跡
正法寺~(中略)~関富士が女山なら 羽黒はをとこ 鈴鹿颪を受けて
立つ」などと書かれている。正法寺は亀山城主が創建した寺で、近年発
掘調査で山荘の存在が明らかになったそうだ。



 「江戸の中頃、九州は久留米藩士の妻女が、良人の仇を討とうと志し、
旅を続ける途中関宿のとある旅籠に止宿し、ここで一女小萬を生んだが、
その後の肥立ちが悪く病没する。 その後小萬は母の遺言に従い仇討ち
を志し、三年程亀山城下で武術を修行し、天明3(1783)年、見事に仇
敵軍大夫を討ち果たした。」



 ポケットパークの反対側に「関の小萬のもたれ松」の説明板が立てら
れていた。この場所は、亀山通いの小萬が、若者の戯れを避けるために
姿を隠しもたれたと伝わる松が有った場所とされ、「小萬のもたれ松」
と呼ばれるようになった。
今その松は無く、何代目かの若い松が植えられている。(続)





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