簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

京口門(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-07-10 | Weblog


 亀山市は江戸と京・大坂を結ぶ旧東海道筋を、情緒あるふるさと街道
「江戸の道」として整備している。東の井田川町から亀山の町中を通り
小野町に到る、凡そ11㎞の道だ。
要所に史跡案内板を立て、休憩所や歴史広場を整備している。



 旧街道は、城下町らしく町中を何度も折れ曲がりながら抜けて行く。
ケンペルは、オランダ商館長に随行する江戸参府の折、亀山宿を通過し
たときの印象を旅日誌に「約2,000戸の家があり、右側には掘りや土塁
や石垣をめぐらした城がある」と書き残していたらしい。



 江戸時代には、東海道の要衝の地として、徳川譜代大名の六万石の城
下町となり、池の側(外堀)を見て進む東海道は、かつてはそのまま繋
がっていたようだ。
 今では、JR亀山駅からお城へは広い道が通じて、途中で旧道を横切
っていて、街道は分断されている。



 その交差する場所近くに「お城見庭園」が造られている。
街道整備の一環として、又、災害時の避難場所も兼ねて造られたらしい。
花植栽が敷地を彩り、東屋が設けられ、休憩が出来るようになっていて、
街道歩きのオアシスでもある。
ここからは亀山城の多聞櫓や近くの池などが眺望できる。



 西町から西丸町を抜けると市ヶ坂町で、亀山藩主石川家の菩提寺の一
つ「梅厳寺」の門前に至る。そこは宿場の西端にあたる場所で、竜川の
左岸の崖上に京口の御門が威聳え立っていた。



 説明板によると寛文12(1672)年当時の藩主板倉重常により築かれた。
石垣を築き、冠木門を構え、傍らには白壁の番所も建ち、通行人を厳しく
監視していたという。東町の江戸口門と共に、亀山城総構えの城門として
位置づけられた門である。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする