簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

島田宿(東海道歩き旅・駿河の国)

2020-05-01 | Weblog
 藤枝宿の出口に当たる瀬戸川を渡ると、右手にフェンスに囲まれた
中に一里塚跡の碑と並んで秋葉神社の常夜灯が立っている。
ここらあたりは昔から火伏の神としての秋葉神社信仰が根強いらしく、
これまでにも何度か見てきたが、藤枝宿の蓮正寺入り口前にも立派な
常夜灯が残されていた。
ちなみにこの寺は熊谷次郎直実ゆかりの寺である。





 橋の欄干に「田沼街道」と書かれた銘板が張られている。
江戸中期に権勢を誇った老中・田沼意次が自地相良にお国入りするため
に相良湊まで整備させたと言われる約七里の脇往還・田沼街道で、ここ
がその起点と言うことらしい。

 権力者の一声で交通インフラが整えられるのは、今も昔も同じらしい。
最も当時の街道は海岸部と山間部を結ぶ物資の輸送ルート、特に塩の道
として盛んに利用されたというから、私利私欲だけでもなかったようだ。





 島田宿は背後に天下の難所、大井川を控えているだけにその規模は
可成りのもので有ったようだ。
本陣も三軒あり旅籠の数も四八軒、宿内の人数も七千人近い。
当時宿場の中心はJR島田駅近くの島田本道り辺りと言うが、通りは
典型的な地方都市のメインストリートで、当時を彷彿させるものは何
も残されてはいない。





 商店街を外れると大井神社の豊かな森が見えてくる。
輿入れした新嫁の代わりに、帯を披露する「帯祭り」が有名と聞くが、
どんな祭りなのかはよく知らない。

 その先に大善寺がある。
よく手入れされた境内に鐘堂があり、時の鐘が備え付けられている。
昼夜二時間おきに宿民に刻を告げると同時に、大井川川越しの始まり
と終わりの合図ともなっていた。(続)

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