簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

大斎原(おおゆのはら)(日本一路線バスの旅)

2018-08-06 | Weblog



 三本足の八咫烏は日本サッカー協会のシンボルとして知られているが、元々
は神武天皇との縁で「熊野権現」のお使いとされている。
そのため境内に幟旗や看板など、色々な所で目にすることが出来る。
中には八咫烏が留っている黒い丸ポストもあり、ここからはがきを投函すれば
記念のスタンプも押されるという。



 参拝を終えた復路は石段脇の旧石段道を下る。
不揃いの石で組まれた階段や、木立の中を切り通した道で、距離はさほどない
が僅かながら熊野古道を感じられる。下りれば右手が瑞鳳殿だ。
神社の研修施設、参拝者の休憩施設として売店やカフェが併設されている。
災害時には避難場所にもなるのだそうだ。



 国道を渡り駐車場脇の細い道を10分ほど歩くと、日本一と言われる大鳥居が
見えてくる。
かつては熊野川と音無川、岩田川の三川が合流する木々の茂った中洲の有った
場所で、「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれるところである。



 「熊野本宮大社」は正式な名称を「熊野坐(にます)神社」と言い、かつて
はこの地に鎮座していた。縁起は古く二千年の昔に遡り、中世に盛んに行われ
た熊野詣はこの地を目指していた。
江戸時代に描かれた絵図によれば、その規模は一万坪にも及ぶ境内の概要が窺
い知れると言う。



 そんな中洲を明治22(1889)熊野川が氾濫大洪水が襲い、建物類の大部分が
流出した。
辛うじて水難を逃れた四社を、近くの小高い丘の上に遷座したのは災害の二年
後で、それが現在の「熊野本宮大社」である。
今その広大な原には二基の石祠が立てられ、かつての栄華を伝えている。(続)



「はれのくに おかやま」観光情報 最新記事アップしました。

西日本豪雨の被害復旧に向け、岡山は元気です。ぜひお越しを。




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする