簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

チャレンジ(JR全線乗潰しの旅)

2010-02-19 | Weblog
世の中には、”JRの全線を完全乗車”したとか、”JRの全線・全駅で下車、「駅潰しの旅」“を”したとか、
”最長片道切符(1.3万キロ余り)の旅”をしたとか、“私鉄も含めて全線に乗った”とか、とてつもない記録
を持った凄い人がいる。

 【写真:鉄道関連本】

ある達人は、全線完乗を終えたが、それは「終着駅」ではなく「途中駅」だと言う。
なぜなら、今度は季節を変えてその路線に乗ってみたくなったからだそうな。
また別の達人は、上り線、下り線共に乗って始めてその線区を完乗したことになる、と挑戦を続けている。
またまた別の達人は、車窓からの景色を楽しむために、昼間の明るい時間帯しか乗らないことに拘って、
完乗を目指してたとか。

これらの体験記を読んでいると、その誰もが鉄道に対する並々ならぬ愛着と、凄まじいばかりの思いを持って
チャレンジしている様子がひしひしと伝わってくる。
お金も時間も体力も、桁外れに必要とするのに、何がこんなにまで思いを駆り立てているのであろうか。

他人が成しえない事を、俺は出来たと言う優越感、それに加えてやり遂げたと言う達成感。
旅を通じて得られる有形無形の財産は決して少なくは無い。
それらを積み重ねた事への満足感。目標を持って日々駆け廻る事への充足感。
しかし、なんと理屈を付けようが、それは自己満足の域を出ないのではないかと私は思う。
結局は、自らの欲望を満たすために、新たの目標を定め、挑戦を続けているように思えるのだ。

その目標とするところは実に多種多様で有るが、共通しているところは、一つの目標に向う執念と達成しても
そこで終わることなく新たな目標に向う直向さで有ろう。
それだけ鉄道を楽しむと言う事は多様性に飛んでいるのだ。

鉄道好きは、こうした輝かしい足跡を残す達人たちに、一方ならぬ憧れと羨望の思いが有る。
しかし、とても自分には出来ない事との諦めと、何とか自分も足元に及べたら・・との強い願望とが交錯する
そのもどかしさをも同時に実感しながら、踏み出せ無い自身の決断力の弱さをも嘆き痛感しているのである。

しかし、その平穏でいようとする己の心を俄かに掻き立てられたのは、自らの軌跡を整理し実績を知り「結構
乗っているではないか」と、その結果を実感した時で有る。
これなら何とか頑張れば、自分にもJRの全線の乗車は出来そうに思えてきたからだ。

 【写真:新庄がいせん桜】

 【写真:久遠寺枝垂れ桜】

 【写真:武田神社前の桜】

 【写真:醍醐桜】

今年の年賀状で、友人たちに「JR全線乗り潰し」のチャレンジ宣言をした。
このことで、途中で挫折しないよう、自らに重圧をかけてみた。
到底達人たちには及びもしないが・・・・やってみようと思うのだ。(JR乗り潰しの旅 完)
コメント
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