TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

veloziferischen 1

2012-05-18 | bookshelf
"Alles veloziferisch"oder Goethes Entdeckung der Lamgsamkeit
「すべては悪魔的速度で」あるいはゲーテによるスローテンポの発見
マンフレート・オフテン著 2009年刊


 翻訳タイトルが『ファウストとホムンクルスゲーテと近代の悪魔的速度』なので、手にとってしまいました。
しかし、内容はゲーテの『ファウスト』第2部第2幕についてではなく、直訳原題そのままのテーマで書かれた論文のようなものでした。哲学的な事を論じているため、ゲーテの作品を少しかじったことがある人でないと理解し難いですが、遺伝子工学やクローンなどの生殖医学に関連する、人間と人間社会と自然科学との係わり方という、決してゲーテの生きていたドイツ哲学的な(堅そうで古臭そうな)時代の枠内で論じているわけではないので、現在そしてこれからの人間社会の方向性について考えさせられました。
 「ホムンクルス」といえば錬金術が生んだ人工生命体ですが、彼が劇作『ファウスト』の中でどのような役割を果たしているのか、という解明にポイントが置かれています。錬金術は、地下の薄暗い不気味な実験室で行なわれるイメージがあり、『ファウスト』の実験室も正にそういう部屋。そこでは主人公ファウスト博士は気を失っていて、出番なしです。
ヤン・シュヴァンクマイエル『ファウスト』のホムンクルス

 ホムンクルスの実験に成功するのは助手です。生命を得た、生まれながらに知恵のあるホムンクルスはメフィストと共に広い世界へ飛んで行きます。でも、ホムンクルスはフラスコからは出られません。行く先々で新しい知恵を出していくホムンクルス。この小さな人工生命体は頭脳明晰なので、何でも素早く成し遂げてしまいます。
 著者オフテン氏は、ゲーテがそんなホムンクルスを「veloziferischen 悪魔的速度」の象徴に位置付けている、と述べています。原題にあるveloziferisch(ヴェロチフェーリッシェ)は、velocitas(伊語が語源:性急さ)とluzifer(独語:堕天使ルシファー)を組み合わせたゲーテの造語だそうです。ゲーテの時代(18世紀後半~19世紀前半)はヨーロッパで博物学が流行し、錬金術は化学実験のひとつでした。ここで踏まえておきたいのは、ダーウィンの『種の起源』が出版されたのはゲーテの死(1832年)後の1859年だったので、ゲーテとその時代以前に「進化」の概念はなかった、ということです。
シュヴァンクマイエル『ファウスト』のメフィスト:悪魔の長ルシファーの手下

 神=自然or宇宙が創世した人間を、人間が造れるようになったということは、神を超越したということです。あたかも現代の人類が、人工知能=コンピューターを造りだしたのと似ています。
 女性の胎内で10ヶ月という時間を必要とせず、既に知恵と知識を持って生まれたホムンクルスが「スピード」の象徴なら、コンピュータは現代のホムンクルスじゃないかと私は感じました。人工知能など思いも寄らないゲーテのホムンクルスが、奇しくもフラスコの中で腹話術のようにしゃべる、という設定もコンピュータを連想させます。
 18世紀のヨーロッパ(本書ではナポレオン以降)は、ゲーテが言うように「悪魔的速度」で世の中が変化し、その変化によって人間も「性急」になったようです。ゲーテは科学に対して積極的な立場でしたが、後年はそのあまりにも「際限のない加速傾向」を懸念したそうです。
 「性急さ」=「落ち着きのなさ」に対する懸念は、他の文学者や哲学者にもあったそうです。ニーチェは著書『人間的あまりにも人間的』で、「落ち着き不足から、我々の市民社会には新しい野蛮性が拡大する。行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々は、時間の無いことに、より価値を置く。ゆえに人間がもつ性質の、穏やかでゆったりした要素を大幅に強化するよう取り組まねばならない。」と叙述している、と本書に書いてありました。
 ゲーテに懸念されるまでもなく、イギリスの産業革命以降、人間の生活速度は現在に至るまで加速し続けています。その結果というか経過に起きた事実―交通事故、ストレス、それらに因る病気・事件・殺人などを考えると、「速い」ことが「良い」としている現代人の価値観を否定されているような気分に陥ります。科学者ゲーテはそんな後ろ向きな考えは言っていませんが、フラスコから出て完全な人間になりたがっているホムンクルスは、ターレスの教えに従って、生命の源「海」に身を委ね、貝殻にぶつかって砕けたフラスコから流れ出たホムンクルスは海と融合します(何千という形態を経て時間をかけて人間になる道を選ぶ)。
 「進化」の概念がなかった時代に、ゲーテは既に生命の源を知っていたのでしょうか。ともかく、ゲーテは「悪魔的速度」の申し子を正統な時間の流れに軌道修正させてしまいます。それは彼の倫理観からだったのか、人間が人間らしく生きるためにはどうすべきなのか考えた末の結論だったのか…。この極端なスローダウンの発想も、現代のチッタスロー(スローフードなど)・スローシティ・ムーブメントを思い起こさせます。スピードは、余りに速くなると人間にとって害になるようです。
 アメリカでは、急ぐあまりに、過去の美しい記憶を持つことができない「焦燥病」という概念が広がったほどだといいます。ちょうど先日『ジェネレーションX』という小説を読んだばかりで、この性急さからくる「焦燥病」に関心を抱きました。