『すべては悪魔的速度で あるいはゲーテによるスローテンポの発見』
カナダ出身の作家ダグラス・クープランド著『GenerationX~Tales for an Accelerated Culture』(1991年)は、1960年~1974年あたりに生まれて、ハルマゲドンが話題になった頃(又は2000年のミレニアム直前)に30歳前後だったアメリカの若者世代を描いたベストセラーで、タイトル「ジェネレーションX」はその世代の代名詞となりました。
X世代は、preparatory school(名門私立校)に通う良家の子息(preppie プレッピー)が卒業後、物質的に豊かで洗練された都会暮らしをするヤッピーyuppie (young urban professionals)と呼ばれるようになり、焦燥感に陥っていった若者を指すそうです。
日本でのX世代の若者は、新人類・しらけ世代(三無主義:無気力・無関心・無感動)と呼ばれアメリカとは異なります。クープランド氏は著作活動を始める以前、日本の出版社で働いていた経歴があり、原書でもshin-jinrui と表記しています。
注目すべきは『~Tales for an Accelerated Culture 加速された文化のための物語』というサブタイトルです。この本は正しく、ニーチェが指摘していた「行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々」=X世代の若者達が、「時間の無いことに価値を置く」=仕事や遊びでスケジュール帳を埋めることに躍起になっているので、「人間がもつ性質の穏やかでゆったりした要素を大幅に強化」=疲れた者は過去の記憶を思い出して自分をスローダウンさせてみよう、と言っているのだとM.オフテン氏の『すべては悪魔的速度で~』を読んで理解できました。
アメリカのX世代が、自分を取り巻く社会の加速による焦燥感(不安のためじっとしていられない状態)に悩まされたのと対照的に、日本では無気力感という低速に陥っていたことは興味深いです。それは多分、日本人は古来から生活に馴染んでいる禅の精神が己に向かわせる傾向が強く、それが、社会が急激に変化(加速)すると無意識的にブレーキをかけさせていたのではないかと思います。簡単に云えば「ひきこもり」です。
前世代の価値観に無関心になった新人類は、好奇の対象を人間ではなく機械・テクノロジーに向けました。アメリカのX世代も、テクノロジーに向かって加速していたに違いありません。小説『ジェネレーションX』は、そんな文系社会(文化でもいい)から理系社会にシフトする段階で、気後れしてしまった若者の避難所として書かれたのかもしれません。
ゲーテやニーチェその他多くの文化人知識人が「悪魔的速度」に警鐘を鳴らしても、部分的なスローダウンはできても全体としては不可能じゃないかと、私は思いました。なぜなら、スピードの問題は人類のみの問題ではないからです。
人間が人工知能(コンピュータ)を造ったのが「加速」なら、神=自然が人類を創ったのも「加速」。自然を生んだ地球、地球を作った太陽、太陽が生まれた宇宙…その中でのほんの小さな点でしかない人間生活(文化でも文明でも構わない)の速度は、人類が操作できるものではなく、宇宙の摂理だと思えるのです。私たちが生きていくために動いているのと同じように、地球も宇宙も動いています。点でしかない人間と宇宙の大きさを考えると、宇宙の速度は人間の速度と比較にならないくらい速いのではないでしょうか。そう考えると、人間生活がテクノロジーによって加速していくのは、宇宙により近づいている証拠(事実そうですし)なので、スローダウンすることもないと思います。
例えば、人間は図らずも戦争による破壊で、文明や文化の進歩をスローダウンさせてきました。しかし一方で、戦争はテクノロジーの進歩を急速に速めました。急激なスピードアップやスローダウンがあっても、そうやってバランスが保たれ、宇宙的速度は決まっているのではないでしょうか。そうして、ゲーテのホムンクルスさながら、人類もいつの日か宇宙の露となって、また1から時間をかけて人間になる道を歩むのではないか、そんな気がしています。
カナダ出身の作家ダグラス・クープランド著『GenerationX~Tales for an Accelerated Culture』(1991年)は、1960年~1974年あたりに生まれて、ハルマゲドンが話題になった頃(又は2000年のミレニアム直前)に30歳前後だったアメリカの若者世代を描いたベストセラーで、タイトル「ジェネレーションX」はその世代の代名詞となりました。
X世代は、preparatory school(名門私立校)に通う良家の子息(preppie プレッピー)が卒業後、物質的に豊かで洗練された都会暮らしをするヤッピーyuppie (young urban professionals)と呼ばれるようになり、焦燥感に陥っていった若者を指すそうです。
日本でのX世代の若者は、新人類・しらけ世代(三無主義:無気力・無関心・無感動)と呼ばれアメリカとは異なります。クープランド氏は著作活動を始める以前、日本の出版社で働いていた経歴があり、原書でもshin-jinrui と表記しています。
注目すべきは『~Tales for an Accelerated Culture 加速された文化のための物語』というサブタイトルです。この本は正しく、ニーチェが指摘していた「行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々」=X世代の若者達が、「時間の無いことに価値を置く」=仕事や遊びでスケジュール帳を埋めることに躍起になっているので、「人間がもつ性質の穏やかでゆったりした要素を大幅に強化」=疲れた者は過去の記憶を思い出して自分をスローダウンさせてみよう、と言っているのだとM.オフテン氏の『すべては悪魔的速度で~』を読んで理解できました。
シュヴァンクマイエル『ファウスト』:メフィストと契約するファウストを引留める善魂
アメリカのX世代が、自分を取り巻く社会の加速による焦燥感(不安のためじっとしていられない状態)に悩まされたのと対照的に、日本では無気力感という低速に陥っていたことは興味深いです。それは多分、日本人は古来から生活に馴染んでいる禅の精神が己に向かわせる傾向が強く、それが、社会が急激に変化(加速)すると無意識的にブレーキをかけさせていたのではないかと思います。簡単に云えば「ひきこもり」です。
前世代の価値観に無関心になった新人類は、好奇の対象を人間ではなく機械・テクノロジーに向けました。アメリカのX世代も、テクノロジーに向かって加速していたに違いありません。小説『ジェネレーションX』は、そんな文系社会(文化でもいい)から理系社会にシフトする段階で、気後れしてしまった若者の避難所として書かれたのかもしれません。
善魂(天使)をやっつける悪魂(悪魔の手下たち)
ゲーテやニーチェその他多くの文化人知識人が「悪魔的速度」に警鐘を鳴らしても、部分的なスローダウンはできても全体としては不可能じゃないかと、私は思いました。なぜなら、スピードの問題は人類のみの問題ではないからです。
人間が人工知能(コンピュータ)を造ったのが「加速」なら、神=自然が人類を創ったのも「加速」。自然を生んだ地球、地球を作った太陽、太陽が生まれた宇宙…その中でのほんの小さな点でしかない人間生活(文化でも文明でも構わない)の速度は、人類が操作できるものではなく、宇宙の摂理だと思えるのです。私たちが生きていくために動いているのと同じように、地球も宇宙も動いています。点でしかない人間と宇宙の大きさを考えると、宇宙の速度は人間の速度と比較にならないくらい速いのではないでしょうか。そう考えると、人間生活がテクノロジーによって加速していくのは、宇宙により近づいている証拠(事実そうですし)なので、スローダウンすることもないと思います。
例えば、人間は図らずも戦争による破壊で、文明や文化の進歩をスローダウンさせてきました。しかし一方で、戦争はテクノロジーの進歩を急速に速めました。急激なスピードアップやスローダウンがあっても、そうやってバランスが保たれ、宇宙的速度は決まっているのではないでしょうか。そうして、ゲーテのホムンクルスさながら、人類もいつの日か宇宙の露となって、また1から時間をかけて人間になる道を歩むのではないか、そんな気がしています。