スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

花の御寺・・・長谷寺の紫陽花

2011-07-03 16:07:44 | 出来事


今朝から長谷寺の紫陽花を撮りに行ってきた。
雨を期待していたのだが・・・今日も望めそうも無く・・・。
少し、出遅れた感もあって、満開時期を過ぎた花もあったが・・・堂宇をバックに、綺麗な姿を見せてくれた。

紫陽花の原種は、青紫色とされていて、花びらにみえるのは「萼」。

もともと「アジサイ」は、「あずさい」と呼ばれていたとか。
「あず」は「集まる」、「さ」は真、「い」は「藍(藍色)」の省略形・・・つまり、「真の藍色が集まっている花」というそうだ。

でも、最近では、色んな色や形の新品種が登場していて・・・「あずさい」の名前を返上しなければならないのでは・・・なんて、思ってしまいます。
























古墳探し

2011-07-02 19:00:12 | 出来事


5日前のことです。
大和の古墳について造詣が深いT氏と、地元の古地図に記載されている古墳のいくつかを訪ねました。


▲右の桧林に・・・そして左の竹林に・・・更に、奥の山裾にも・・・。


T氏は奈良県下約300箇所の古墳をくまなく探索されておられる方で、この道では専門家。
何しろ、発掘調査現地説明会があれば必ず参加し、報告書を入手。地元の市埋蔵文化財センターや県の考古学研究所などの担当者とも親交が深い。週に何度か年に何百人も引き連れて、古墳案内人としてボランティア活動もされている。
自らのブログでも、県下の古墳の現地調査結果を載せておられます。

このような専門家と、4時間近くご一緒して、道なき道を・・・桧林を・・・崖道を・・・古墳地図を片手に探検です。生まれ育ったところが、このような古墳の多い土地だったとは・・・。今更ながら、感動ものです。


▲番号が付いている箇所が古墳を示す場所です。これらの場所の一つ一つを探します。


▲このような山道ばかりではありません。崖や沢を通ることも・・・。夏場の探索は無理ですネ。


地元には、7~8世紀初頭の古墳がいたるところにあります。その幾つかは、既に専門書などにも記載された著名な六角形の古墳などもあって、盗掘されたものや未発掘のものがあって・・・興味ある方にとっては・・・凄いところなのです。

奈良県下には何千箇所もの古墳があって・・・なかなか発掘調査が進まないのが実状です。
土地開発のため、その時の調査依頼を受ける分だけで手一杯のようです。
従って、昔の古墳地図に記載されていて未調査の古墳や遺跡を発掘するのは・・・まだまだ先になりそうです。


▲羨道部から石室の中を覗くT氏。さすが、専門家です。ポイントを探されるのが早い。


▲石室(炭焼き窯として使われていた)の上部は、このようになっていました。

10箇所余りを探して彷徨ったが・・・完全な姿を見たのは、「炭焼き窯」として使われていた石室です。
T氏のあとに続いて、羨道口から石室の内部を覗きました。内部は土で塗り固められ、炭化したススが付着しています。石棺が無く、木棺であったのか石棺が持ち出されたのか・・・分かりません。
副葬品はどうなったのでしょうか。

すぐ近くでは、金属製の骨壷が発見されたとも報告されています。平安時代の女性のものとみられる櫛や鏡が発掘されています。
発掘までに至らなくても、せめて古墳の場所の確定をしたい・・・。外部からでもその姿を明らかにしたい。そんな思いで、探しています。

古墳地図記載の山の尾根の端の盛り土されたところを目指します。古墳の石室の玄室と外部をつなぐ通路(羨道)部は、南面に位置するとか・・・。ところが、なかなか思った場所に行けない。100年前の地形が変わっていて、想像がつかない形となっている。崖を下り降りる・・・というか落ちながら・・・一旦、谷に下りて、また登る・・・これの繰り返し。


▲明治時代の古墳調査図です。地番もハッキリしていますが・・・見つかりません。何処にあるのか・・・・。


何箇所かは、円墳の形であることが分かります。また、前方後円墳らしき形のものも・・・。
明治時代の調査図に絵入りで描かれた石室を探したが、既に畑となっており、巨石の姿は無くて・・・。近くを探し回りますが見当たらず・・・引き続いて、探さなければなりません。
でも、絵に描かれたこれらの巨石は何処にいったのだろう??

夏場の古墳探索は、かなりハードです。また、夏草が生い茂り、木々の葉っぱが繁り・・古墳の形が見分けにくい時期です。やはり冬場のほうが・・・良さそうです。


▲この盛り土の形も気になります。円墳かも・・・と、T氏。


何度も足を運び、いにしえびとが残してくれた跡を・・・そこから得られる往時の実力者やその暮らしぶりなどが分かれば・・と思います。

1600年前に宮があったとされる「意柴沙加宮跡」探しも、夢の一つです。
それらしき場所の特定がしずらくて・・・。

一歩一歩、山道を歩み、一つ一つの古墳や遺跡の位置を確定したいと思っております。
心は、少年のように・・・燃えております。