水・土・日曜日、祝日に更新し、毎回4枚(群)の写真と撮影秘話を中心に、楽しかった思い出をお伝えしています。
昨日(9月3日)のブログ「将棋 藤井聡太五冠・九段&せともの祭 1」において、「藤井聡太さんの名前が違う」
ことを発見していただき訂正しましたが、見ていただいた方々に不快な思いをさせてしまい、お詫び申し上げます。
今日のブログでは、愛知県瀬戸市内で「将棋 藤井聡太五冠・九段」と「磁祖 加藤民吉」に関する掲示をご紹介します。
※ いつもは4枚(群)の写真構成ですが、紹介したい写真が多いので、このシリーズは5枚(群)構成となっています。
瀬戸市役所のロビーには、9月10日・11日の「せともの祭」をPRする為に、
「磁祖 加藤民吉」と熊本県天草市の「高浜焼窯・上田宜珍(うえだよしう
ず)」で修業し、瀬戸市に磁器を広めたなどの資料が展示されていますが、
普段は「将棋 藤井聡太五冠・九段」の資料が展示されています。
この写真は、瀬戸市窯神町の「窯神神社」にある民吉さんの像で、数年に
一度積もる貴重な雪の日に撮りました。
1枚目から3枚目の写真は、市役所のロビーから東玄関へ移設された藤井さ
んの資料で、4枚目から7枚目は瀬戸市蔵所町にある「瀬戸蔵」のロビーに
ある資料です。
瀬戸蔵近くの商店街には、1枚目から3枚目の写真の様に有志の方々が空き
店舗を利用して設置した資料があり、テレビ放映の背景に映し出されます。
その近くには、チョッと有名なとんかつ屋さんがあり、駐車所の塀に置か
れた陶器の作品は、とんかつと同様に有名かも。
瀬戸市西茨町の「瀬戸市文化センター」には1枚目の写真の様に「せとも
の祭」のポスターが掲示されていて、昨日(9月3日)行きましたが2枚目
の様に「磁祖 加藤民吉 生誕二百五十年」を祝う書道展が開催されていま
した。
ここでも3枚目の様に藤井さんの資料が展示されていましたが、藤井さん
が有名になったことで、4枚目・5枚目の「瀬戸将棋文化振興協会」なる
会を知りました。
※ 午前0時・・分・・秒、「ピィピィプー」の時報を待つかのような更新は、名付けて「忍者ブログ」と呼んでいます。
瀬戸市が陶器の街として、繁栄したのは加藤民吉さんが、遠方地熊本で修行したお陰だったのですね、良くわかる知識が身につきました、ありがとうございます。
瀬戸物、焼きそばと並んで、瀬戸市の有名なものと言えば、将棋の藤井五冠ですね、若いのに将棋も強く、ブレず謙虚な姿勢を貫く精神には、禅の思想にも通ずる物を感じます。
田中様の言われますように、藤井聡太五冠は若いのにホントに礼儀正しく、謙虚ですねーー。
そこに人気の秘密があるのかも知れません。わたくしも大ファンです。
書道の「飛墨会」様は、先代の「幽石」先生の時からいまの「苔石」先生にも知己にしていただいています。
瀬戸市から国府宮の大鏡餅奉納のときの、トラックに掲げた幕の文字も苔石先生の揮毫によるものです。
とっさー
瀬戸市が陶磁器の街として繁栄したのは昭和40年代まででしょうか、市街・国外の業者が繁栄するにつれて徐々に衰退し、「せと物の街、瀬戸」の知名度も下がって行きました。
今では「将棋 藤井聡太五冠・九段」のお蔭で知名度は上がっています
「将棋 藤井聡太五冠・九段」のお蔭で、瀬戸市が愛知県にある市と分かるほど、知名度が上がって有難いです。
テレビ放映で拝見する様子は、謙虚・冷静・礼儀正しくて、とても好印象ですね。
「飛墨会」の事は分かりませんが、国府宮へ向かう大鏡餅奉納のトラックに掲げた幕の文字は印象的で、山口八幡社で写真を撮りました
今日、息子に乗せてもらって「飛墨会」書展を見せていただいてきました。
苔石先生にお目にかかって「いつも写真少年さん」のブログで紹介されたことを、スマホで御見せしたところ大変よろこんでおられました。「会長さんによろしく・・・」とのでした。
とっさー
ありがとうございます