般若経典のエッセンスを語る21

2020年10月19日 | 仏教・宗教

  第二章

 

 前章で、般若経典―大乗仏教のエッセンスを一言で言ってしまうと「智慧と慈悲」だと述べた。

 もちろんゴータマ・ブッダも「慈悲」を語っており、以後の仏教でも語られてきたのだが、きわめて大きく強調されるようになったのが、大乗仏教の大乗仏教たる所以だということだった。

 その慈悲の実践の具体的な内容として、菩薩たちが「こういうことを必ずやろう」と誓い願うのを「誓願」といい、菩薩たちはみなさまざまな誓願を立てている。

 仏教では、すでに仏になっている方も元は菩薩・修行者であり、例えば阿弥陀仏は、元は法蔵菩薩という菩薩であり、その時に、「私が覚りを開いた日には……したい」という四十八願を立てという。

 そのうちの第十八願に、「もしもある人が、たとい一生の間、悪事をなしたとしても、いのちが終わろうとするときに及んで、十念続けてわが名字をとなえるならば、わが浄土に往生するように。もし往生できないならば、私も正しいさとりをとらないだろう」という願がある。それが浄土教の成立の根拠である。

 それから、例えば薬師如来にも修行時代があり、十二の願を立てたと経典に書いてある。

 その中の特に第七大願に「願わくば私が来世で覚りを得た時に、もしもろもろの生きとし生けるものがさまざまな病気に迫られ、救いがなく、頼るものがなく、医者がなく、薬がなく、親族もなく、家もなく、貧しくて苦しみが多いとして、私の名号が一度でも耳に触れたならば、さまざまな病気はことごとく除かれ、身心が安楽になり、親族や生活に必要なものがみな豊かに足りて、さらにはこの上ない覚りを得ることができるだろう」とあり、仏さまになった暁には神通力をもってそれができることになっている。

 貧しく病んでほんとうにどうすることもできない状態にある人が、薬師如来を信じるとそれらの苦しみすべてから救われるという信仰があり、日本では親しんで「お薬師さん」と呼ばれ、今も人気のある仏さまである。

 そのように、阿弥陀さまもお薬師さんもみな、菩薩時代に願を立てておられる。

 『大般若経』に戻ると、「初分願行品第五十一」、現代的にいうと五十一章では、三十一もの菩薩の誓願が述べられている。さまざまな願があるのだが、大乗の菩薩の願はほぼこれに集約されるのではないか、と筆者は感じている。


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