以下は、11月8日に行なわれた茨城大学と東洋大学共催のセミナーで発表した原稿に若干の訂正を加えたものです(26日、文献の追加等再増補を加えました)。
ブログ記事としては長いのですが、今、このテーマに関して私が読者のみなさんにお伝えしたいことの要点がうまく書けていると思いますので、ネット公開することにしました。
ぜひ、共感や生産的な批判の声をお寄せ下さい。
「国家の持続可能性」ランキング第1位の国:スウェーデン
国際自然保護連合(国連から始まり現在独立機関)の2001年「国家の持続可能性ランキング」(180カ国)によれば、1位にランクされているのはスウェーデンです(ドイツ12位、日本24位、米国27位)。OECD30カ国の「持続可能性ランキング」でも、2004年、2007年と1位にランクされています。
それらのランキングをとりあえず信用するとすれば、私たちが「環境問題」とその具体的・実際的な解決について考え取り組んでいく上で、スウェーデン――その思想と政治――はもっとも参考にされるべきだといえるでしょう。
実は、「〔エコロジカルに〕持続可能な社会」というコンセプト自体、北欧発です。なかでもスウェーデン政府‐社会民主党は、すでに1968年頃、前首相エランデルと首相パルメらの首脳陣が環境問題の重要性を認識しており、世界に呼びかけて、1972年、ストックホルムで「第一回国連人間環境会議」を開催しています。
これは、ちょうど日本では田中角栄首相が「日本列島改造論」をぶち上げていた年です。環境に関するスウェーデンと日本の意識の違いには驚くばかりです。
スウェーデン政府は、すでに高いレベルで実現した福祉国家を超え、さらに80年代後半からきわめて意識的に「〔エコロジカルに〕持続可能な社会」の模索を開始し、96年には25年計画で「緑の福祉国家」を建設するというビジョンを掲げました。
国際自然保護連合の評価では、第1位のスウェーデンでさえまだ完全に「持続可能」にはなっていないということですが、環境問題スペシャリストでスウェーデンの環境政策に詳しい小澤徳太郎氏によれば、そのビジョンは着実に実行されつつあり、このまま行けば2010年から20年までの間には、少なくとも一国単位では「持続可能な国家」を確立しているだろうとのことです。
そこまで福祉と環境を重視する政策をとって財政・経済に支障はないのかと疑問を感じる方もあるでしょうが、例えば2006年「世界競争力ランキング」(世界経済フォーラム・ダボス会議)では3位です(6位米国、7位日本、8位ドイツ)。
理想化するつもりはありませんが、経済・財政と福祉と環境のみごとなバランスのとれた国家形成が政府主導で実際に行なわれつつある、と見てまちがいないようです。
持続可能な国づくりを可能にしたもの
そして、それを可能にしたのは、風土・自然環境とプロテスタント・キリスト教によって培われた国民性と、その近代化・非宗教化されたものとしての社会民主主義‐ヒューマニズムによる「自立と連帯」の思想だと思われます。
ヨーロッパ北辺の厳しい風土――特に厳しい冬の寒さ――の中にあって、それぞれの人間が他に依存せず自分のことは自分で責任をもってやるという「自立」と、同時に必要な時には徹底的に助け合うという「連帯」なしには、私たちは生き延びることができなかった、とスウェーデンの人々は言っています。
また、スウェーデンは、10世紀頃までヴァイキングの国であり、北欧神話に表現されたような民俗宗教を信じる国でしたが、12世紀頃からキリスト教(カトリック)が伝えられ、次第に受容していきます。そして、1520年頃、政治的事情も関わって指導者たちがルター派のプロテスタント・キリスト教に改宗します。
「自立と連帯」なしには生き延びることができないという風土的条件に加えて、思想的に「連帯」するべき絶対的根拠を与えたのがキリスト教の「愛」という概念だったと考えられます。
例えば、新約聖書「コリント人への第一の手紙」には、きわめて明確に
「実際、からだは一つの肢体だけでなく、多くのものからできている。…もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだが耳だとすれば、どこでかぐのか。そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。…目は手にむかって、『おまえはいらない』とは言えず、また頭は足にむかって、『おまえはいらない』とも言えない。そうではなく、むしろからだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互いにいたわり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストの体であり、ひとりびとりはその肢体である。」
といった思想が存在しています。
「もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ」という精神を制度化するとすれば当然、協力社会・福祉国家になるでしょう。先の聖書の個所のような教えが国民性を育み、そうした精神を指導者が誠実に・本気で受け止めたら、福祉国家を形成せざるをえないだろうということは、ほとんどなんの解説もなくおわかりいただけるのではないでしょうか。
そしてキリスト教の「愛」の精神が非宗教化されて社会主義の「共同体・連帯」という思想に到ることも自然な流れとして納得できます。
とりわけプロテスタントになってからは、国民一人一人が繰り返しルターの『小教理問答書』を読み、さらに直接に聖書を読むことを要求されましたから――聖書を読めないと結婚できないので若者がみな必死で字を覚えたことが識字率を高め、高度な知識の必要な近代的労働者を育んだといわれています――当然、そうした聖書の思想に直接触れることになります。
ルターの『キリスト者の自由』に有名な以下のような言葉があります。「キリスト者は全ての人の上に立つ自由な主人であって何人にも服従しない。キリスト者は全ての人に仕える僕であって何人にも服従する。」これもまた、前半は「自立」、後半は「連帯」を促す思想であることは明らかです。
社会民主主義と「緑の福祉国家」
スウェーデンでは近代、社会の主導的な精神は非宗教化されプロテスタントから社会民主主義・ヒューマニズムへと移行したわけですが、底流を流れているのはほとんどおなじと言ってもいい、人間同士を一つの共同体(からだ)のメンバー(肢体)と捉える基本感覚・「暖かい心」です。
もっとも直接的には、社会民主労働党の初期の政治家であり1932年から46年まで首相を務めたペール・アルビン・ハンソンの「国家は国民の大きな家でなければならない」という思想が、福祉国家形成の基盤になっています。
これはきわめて重要なことなので指摘しておくと、ソ連型・マルクス主義的な社会主義と社会民主主義はいくつかの重要な点で異なっています。
マルクス主義的な社会主義では、政治は暴力革命を経たプロレタリア政党すなわち共産党による一党独裁が正しいとされます。
それに対し社会民主主義は、暴力革命を否定し、多数政党による議会制民主主義の選挙の結果としての政権担当を目指します。
スウェーデンでは、社会民主労働党が長期政権を維持してきましたが、一党独裁ではなく選挙によるものであり、先般の選挙では選挙によって政権交代が行なわれました。
さらに、マルクス主義的な社会主義国家の経済システムは、実態はともかく原則としては国家による中央統制経済(生産手段の国有化、計画経済)であり、私企業の存在や自由主義的な競争経済は認められていません。
それに対し、社会民主主義の国家では、私企業の存在、自由主義的な競争経済が相当程度公認されています。
こうした相違は、たまたまではなく「主義=思想」としての違いです。
かつてのソ連・東欧と異なり、「社会民主主義」の国スウェーデンは「民主主義のもっとも成熟した国」と評されるように、言論や政治活動の自由度のきわめて高い国です。
また自由主義的な競争経済を許容していて、経済効率もきわめて高いようです(順調な国内経済、高い国際競争力など)。
これらは、北欧全体に言えることのようです。
ただし、もちろん政府の介入をできるだけ避けて競争-市場原理に任せようとするいわゆる「新自由主義」経済ではありません。政府の立法や予算措置等による経済活動の規制や誘導は、相当に強く行なわれています。自由な経済活動が結果として大きな社会的不平等を生み出すことのないように、政府が相当に介入するのです。
北欧型社会民主主義のソ連型社会主義との基本的違いの一つは、社会の分野のうち、経済は限りなく自由主義的(競争原理)に、その他の分野では限りなく社会主義的(協力原理)にという基本方針にあります。
そして、一定程度競争原理を導入することによって経済を活性化し、活性化した経済によって税収・財政を確立し高度な福祉を可能にする財源を確保してきたのです。
これは結果として見れば、非常にすぐれた「大人の知恵」だったと評することができるでしょう。
スウェーデン社会民主労働党の政府は、財界に対して完全雇用を要求することによって労働者の支持を得、自由主義的な経済を許容することによって財界との妥協・協力関係を形成し、労働者と財界との妥協・協力によって経済を活性化し、活性化された経済によって福祉を保障してきました。そうした国民全体の妥協・協力による信頼関係が、環境に関しても合意形成を容易にしているのだと言われています。
スウェーデンでは、社会民主主義・ヒューマニズム・人間尊重の思想があったからこそ、「福祉国家」というビジョンが生み出され実現され、さらにその発展としての「緑の福祉国家」というビジョンも生み出され、実行されつつあると言ってまちがいないでしょう。
あえてわかりやすく言えば、「社会民主主義なくして福祉国家なし」、「福祉国家なくして緑の福祉国家なし」 ということです。
しばしば指摘・批判されるのと異なって、北欧では、ヒューマニズム・人間尊重の思想は人間中心主義に陥ることなく、むしろ人間の健全な生活つまり福祉の基盤として健全な環境が必須であることが科学的・エコロジー的に明らかになると、本格的にエコロジカルに持続可能な社会に取り組む動因となりえています。
それに対し、「新自由主義」的な資本主義は、私企業が政府の介入なしに自由に利益を追求することを求めるものです。
しかし、経済的利益の無制限な追求は、資源の大量使用―大量生産-大量消費による経済成長を目指さざるを得ず、結果として資源の枯渇と大量廃棄をもたらし、環境の悪化をもたらさざるをえないという点で、もはや持続不可能だ、と思われます。
近代の産業経済システムとりわけ自由主義的資本主義は、もともと入口・資源の有限性と出口・地球の自己浄化能力の有限性という、2つの根本的な限界を抱えていたといえるでしょう。
もう一方ソ連型社会主義も、独裁のもたらす不自由さと経済的な非効率性という点で、もはや今後の世界の選択肢ではありえない、と思われます。
そういう意味で、第三の道、スウェーデン-北欧型社会民主主義こそ、経済・財政と福祉と環境のバランスを可能にし「持続可能な社会」を実現する上で実際的な有効性のある思想的・政治的選択肢ではないか、と私は考えています。
それは、たんなるイデオロギーの問題ではなく、「持続可能な社会」を実現できる政治・経済体制は何かという意味での「理念」・「ビジョン」・「政治経済思想」の選択の問題なのだ、と思うのです。
その他の要因
さらに補足すると、スウェーデンが国を挙げて経済最優先ではなく「経済と福祉と環境のバランス」によって「緑の福祉国家」に向かうという国民的・全社会的合意を形成する上で、ヴァイキング時代以来、北欧の人々が持ち続けている自然に対する深い畏敬と愛着の思い――「自然神秘主義」と呼ぶこともできるような価値観――が、それを容易にする大きなファクターになっていることも指摘しておくべきでしょう。
また社会民主労働党のごく初期から自然科学者や社会科学者と政治家のコミュニケーションがきわめてよかった――例えば初代党首のブランティングは天文学専攻であり、ストックホルム学派経済学のウィグフォシュやミュルダールが社民党政権の経済政策担当者だったなど――という点も、ごくスムースに科学者の環境の危機への警告を政治家が真剣に受け止めて経済や福祉とのバランスを考えながら政策を立案することを可能にしていると言えるでしょう。
以上述べたような理由で、今、私たち日本人が「持続可能な社会」を目指す上で、スウェーデンの思想と政治から学ぶべきものはきわめて大きい、と私は考えています。
参考文献(著者の50音順)
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石原俊時『市民社会と労働者文化――スウェーデン福祉国家の社会的起源』木鐸社、1996
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岡沢憲芙『スウェーデンは、いま――フロンティア国家の実像』早稲田大学出版会、1987
『スウェーデン現代政治』東京大学出版会、1988
『おんなたちのスウェーデン――機会均等社会の横顔』日本放送出版協会、1994
『スウェーデンを検証する』早稲田大学出版会、1996
『スウェーデンの挑戦』岩波新書、1991
岡沢憲芙他編『スウェーデンの経済――福祉国家の政治経済学』早稲田大学出版会、1994
『スウェーデンの政治――デモクラシーの実験室』早稲田大学出版会、1994
尾崎和彦『北欧思想の水脈――単独者・福祉・信仰―知論争』世界書院、1994
〃 『スウェーデン・ウプサラ学派の宗教哲学』東海大学出版会、2002
小澤徳太郎『いま、環境・エネルギー問題を考える――現実主義の国スウェーデンをとおして』ダイヤモンド社、1992
『21世紀も人間は動物である――持続可能な社会への挑戦 日本VSスウェーデン』新評論、1996
『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』朝日新聞社、2006
訓覇法子『スウェーデン人はいま幸せか』日本放送協会、1991
生活経済政策研究所編『ヨーロッパ社会民主主義論集(Ⅳ) スウェーデン社会民主党党綱領 他』生活経済政策研究所、2002
竹崎孜『スウェーデンはなぜ生活大国になれたのか』あけび書房、1999
『スウェーデンはなぜ少子国家にならなかったのか』あけび書房、2002
藤井威『スウェーデン・スペシャル』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、新評論、2002
I・ヘルリッツ/今福仁『スウェーデン人 我々は、いかにまた、なぜ』新評論、2005
宮本太郎『福祉国家という戦略――スウェーデン・モデルの政治経済学』法律文化社、1999
百瀬宏『北欧現代史』山川出版社、1980
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