途上にあって惑う日々

2007年05月07日 | 生きる意味

 今日も一日のほとんどの時間を孫娘と過ごしました。

 ごく単純明快な爺バカですが、ほんとうに可愛いものです。

 そして、午後、二人目の孫娘が生まれました。

 しかし、風邪をひいているので――幸いほとんど治って連休明けの仕事には差し支えなさそうですが――病院に会いに行くことができませんでした。

 それでまだ実感はないのですが、いよいよ本格的にじーじの世界です。

 「人生の秋」という美しい言葉がありますが、還暦、二人目の孫と、まぎれもなく人生の秋にさしかかってきました。

 昨夜も青森の友人と電話しながら、天があと20年、そこそこ元気で研究を続けることのできるような健康と寿命を与えてくれるとして、何をしたいのか迷っているという話をしました。

 心には自分の内面を掘り下げたいという気持ちのベクトル――禅定を深めることや大般若経などの探究――と、これからの社会が向かうべき方向とその方法をつかみたいというベクトル――スウェーデンについて政治史や社会科学などにまで深入りするか――のアンビヴァレンツがあって、このまま時を過ごすとどちらも中途半端になりそうです。

 実りの秋にするには、どこかで胆を据える必要があるのだが……と、60にして惑うじーじの日常です。

 しかし、個人がいくら完結しようとしても、宇宙は進化の途上にあり続けて完結したりはしないので、そういう意味ではどんなことでも中途半端でだいじょうぶなんですけどね。




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コメント (3)
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