思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

『暇と退屈の倫理学』 略して”ひまりん”と呼ぼう

2024-04-30 16:35:02 | 日記
『暇と退屈の倫理学』
國分功一郎

「人はなぜ退屈するのか」という問いを追求する
哲学の本です。

哲学、あまり読んだことのないジャンル…。
途中で「続きを読むのダルいなあ」と思った瞬間もありましたが、
“ひまりん”と略してみたらかわいくなったので
「ひまりん読もうかな」と思えるようになりました。

という、私程度のレベルでもなんとか通読できる
ありがたい哲学本です。
うん、意外と読めるのよ、ほんとに。

まずパスカルが出てきて、人間が退屈する理由を
「部屋でじっとしていればいいのに、そうできない」と。
人はウサギが欲しいからウサギ狩りに出かけるのではない、と。

この話しで思い出したのが、私、子供の頃に
ねるねるねるねを親にねだって買ってもらったんですが
あれの味、あまり美味しいと思ってなかったんですよね。
人はねるねるねるねが食べたいからねるねるするのではない、
ねるねるしたいからねるねるねるねを買うのだ、ということです。
(ねるねるうるさい)

で、ラッセルの『幸福論』。
退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。
熱意を持った生活を送ることが幸福である。
わかる気もするし、危険な気もする。
(余談ですが、ラッセルは、ファシズム擁護したハイデッガーのことが嫌い)

ラファルグ(マルクスの娘婿)の『怠ける権利』から
自動車王ヘンリー・フォードのフォーディズム。
哲学に自動車王が参戦するの?
と思ったけれど、なかなかおもしろかった。
生産性向上のために労働者を慮り、「余暇」すら資本の中に
組み込んだのがフォーディズム。
エポックメイキング。

ボードリヤールは「消費」と「浪費」の違いを説明。
(浪費はどこかで止まる。消費は決して満足に至らない)

ハイデッガーは「退屈」を分類する。
第一形式は、何かによって退屈させられること。
第二形式は、気晴らしと絡み合った退屈。
第三形式は、「なんとなく退屈だ」
(余談ですが、ハイデッガーの不倫相手はユダヤ人哲学者の
ハンナ・アレント)

ユクスキュルの「環世界」という概念。
あらゆる生物はそれぞれの環世界を生きている。
すべての生物は異なった時間を生きている。
(時間は瞬間の連なり。人間にとっての時間は1/18秒)
人間は比較的容易に環世界を移動する。

で、結論の2。
「贅沢を取り戻す」
消費において人は物を受け取らない。
物を受け取る(浪費する)ためには訓練がいる。
例えで挙げられていた「食を楽しむ」か「栄養を口から摂取する」かは
分かりやすかったです。
疲れるとどうしても「摂取」になりがちだしな。

そんなこんなで“ひまりん”、意外と読めたし、楽しめた。
よかった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 就活生が言う4文字のアレ | トップ | 『ゴールデンカムイ 絵から学... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事