「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第127回 川越歌澄著・句集「キリンは森へ」 歌代 美遥

2020年10月05日 | 日記

 川越歌澄さんは、北斗賞第一回受賞者である。俳句界という俳句月刊誌において、若手の為の賞である北斗賞が創設された。その北斗賞の第一回目の受賞者である川越歌澄さんの第一句集「雲の峰」から九年の空白から期待を待たれた待望の第二句集である。
 句集の表紙絵は、川越歌澄さんご本人の作画である。音楽家でもある作者は音感に対する明敏さと画家の色彩に反応する視覚の鋭敏さが、句に生かされている。

  虹彩のはじめの色は雪解川   歌澄
  寒林や一語を洩らす大天使   歌澄
  立春やキリンのこぼす草光る  歌澄

 キリンは森へ、とあるが動物園のキリンはキリンの獣舎へ帰る。
 しかし、何度も何度も動物園のキリンと対峙して、キリンと会話を交わしている作者の心は、キリンを森へ返し森の中のキリンと、交流を交えて作者も森に立っている。森のキリンは木漏れ日色の独特な角状斑の模様が鮮やかに、キリンの眼差しに作者は包まれている。あの長い首をすくっと伸ばし、静止して森の木と化し森の一部となるあの網目模様が森に溶け込む自然界の繊細さである。
 紙絵のキリンの描き方が、後姿で振り向く瞳の優しい眼差しが、手前の大きく真っ赤な毒茸と、対比して遠くの暈した描き方に、作者の心象が流伝している。もし、キリンを前面に持ってきて写実な姿を真近くに見た場合愛らしさは、少し薄れる事が想定される。首の長さの重さを前駆に偏らせ、胸から脚の付け根までの筋肉の発達の生々しさ、分厚い唇の可動性に富んだぶるぶる蠢く奥から五十センチメートルはある黒い舌が、鞭の様にしなり採食する生々しさ、表紙絵のキリンとは、受身が変わってくる。隆々とした筋力の迫力を作者は芸術的な叙情を求めていない。作者の表現者としての視覚という感覚に依拠せず、具象に意思を持たせて神の使いのことく好意的な作者の心象が句を湧き出していく。

  眠り猫眠さうな猫牡丹雪    歌澄

 歴史的にも、猫は人間の暮らしに浸潤しペットとして愛されてきた。商い屋の入り口に、招き猫をよく見る事があり、日本では商売繁盛のお守りとして縁起物の飾りとして普及されている。俗説に猫が顔を洗うと人を招き寄せると言われてきたことも、招き猫の起源を思わせる。作者は動物愛好者で上野動物園を巡り、動物たちの存在感を全身で受け止め、繊細でありながら雄大な感覚を研ぎ澄まし動物と対峙している。

  眠り猫眠さうな猫牡丹雪

 猫という生命力の素材、牡丹雪という自然界の素材に作者はどの様に風景を、感受し命あるものに没我していく時間の流れが楽しい。牡丹雪という純白な自然界を背景に猫という生ある事象を象徴してズームしていく、俳人の着眼が清らかである。
 猫には、伝説が多い。
 江戸時代の吉原の遊女がとても猫を溺愛している姿に、遊郭の主人が、遊女が猫の怨霊に取り憑かれていると思い、猫を殺してしまう。嘆き悲しむ遊女に生命の危機が忍び寄ったとき、猫の霊が助けて恩返しをする。という伝説が福をもたらす招き猫が生まれた。
 句にある眠そうな猫の瞳は牡丹雪の何色にも染まらない純な処女性の色を見ている。人間界の複雑さも見えないほど牡丹雪は天からの贈り物の様に降り続く白さは、作者の心と重なっていく。季語の象徴性を写実的な模写に主観を抑え、超越した目前の裏側を観ている。句集の表紙絵に描かれたキリンの臨模を抑えた構図は、作者の心象を読者に看破を薄弱させる効力を成している。猫は作者と共に生き、人間に抱かれて、人間の心にある傲慢や偏狭の眼差しなど、疑いもせず老いていく。
 情感の客観的な牡丹雪の白妙のひかりは人跡未踏の色彩を放ち、作者の真率さを失わない人生を読者は、感受する。
 素朴でありながら生命の躍動の喜びは、動物の本能を感じる作家川越歌澄さんの愛である。
 
 ただ水のように生きていればいいんだ

 須藤葉子九十一歳。
 この師の言葉を、しっかり受け止め俳句を、水の流れのようにと、清々しい川越歌澄さんという、優しさと強さが見えてくる。


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