「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評177回 川柳時評(10) 「伝統川柳」について 湊 圭伍

2024年01月28日 | 日記
 「伝統川柳」という言葉がある。川柳としばらく付き合っているとよく聞くようになる言葉だが、そうでない人には何のことだか分からない。分からないで終わればよいが、だいたいは誤解して分かったつもりになるだろう。「伝統」的な「川柳」ね、ふーん、江戸時代からあるからね、といった感じで。ややこしいのは、この言葉をしきりに使う人、特に「自分は伝統川柳をやっています」という人の中にも、この言葉とそれで表されるぼんやりとした領域がどのように成立したのかが分かっていない、あるいは知識として分かってはいるが自身の句作という実践とは結びついていない人が多いように見受けられることだ(同じようなことが「伝統俳句」にも言えるけれども、こちらはまだ俳句界隈以外からも事情が分かりやすいと思う)。 
 私なりにまとめると、「伝統川柳」とは、主に都市風景の写実を中心とした句を指す言葉で、そこに「庶民」の感性や感情が表れている(と信じられている)ものである。それなりに分かりやすいと思うが、それが「伝統川柳」と呼ばれるようになった経緯を共有する必要があるとも感じる。というわけで、この文の前半ではそれを行う。 
 まず、「伝統川柳」は「古川柳」ではないし、「伝統的な川柳」のことでもない。また「古川柳っぽい今の川柳」でもない。「古川柳」という言葉で近代以降言い表されるのは、初期の『誹風柳多留』の句である。『誹風柳多留』は、江戸中期に活躍した前句付点者、柄井川柳が「川柳点万句合」で選んだ句から、一句独立して読めるものを選りすぐって(また一句独立して読めるように少し手を加えて)出版されたもので、初代川柳の死後も、かなり内実を変えながら幕末まで刊行が続けられた。明治以降になり、初代以降の「狂句」化した作品は面白くないという評価が下され、ただし、初期『誹風柳多留』には風情のある句が多く、また江戸期の風俗の知見をえる上で重要であるということで、再評価・再読が進んだ。まとめると、「古川柳」=初期『誹風柳多留』の句ということである。
 また、「川柳」がジャンル名として定着するのは、「古川柳」の時代よりはるか後、前句付興行や『誹風柳多留』出版の基盤だった江戸文化が崩壊して以降である(「川柳」の語が使われなかったわけではないが、一般的なジャンル名として定着はしていなかった)。ジャンル名としての「川柳」は、明治末期から、正岡子規の俳句・短歌の革新に影響を受け、阪井久良伎・井上剣花坊らが「新川柳」という呼称で始めた動きが基となっている。久良伎・剣花坊が最初に選者をつとめたのは、 子規の改革の基盤でもあった新聞「日本」であり、また「讀賣新聞」などで選者として活躍した窪田而笑子の影響も大きく、つまり、明治に入って近代的な国家規模のメディアが成立する中で登場したジャンルだと言ってよい(「俳句」もまたそうだと私は思うがどうだろう)。
 そして、久良伎・剣花坊・而笑子らが新ジャンル創設において(本人たちは「古川柳」の復興と考えていたかもしれないが)参照したのが、「古川柳」=初期『誹風柳多留』の写実句だった。この写実句だけを抜き出して模範とした、つまり、初期『誹風柳多留』をまるごと参照したというわけではないというのが重要なところである。
 『誹風柳多留』初篇から冒頭の二句をとって説明しよう。

五番目は同じ作でも江戸産れ
かみなりをまねて腹掛やっとさせ


 二句目は、「腹掛」は子供がお腹を冷やさないための布、つまりは今の腹巻のことだ、と簡単な説明をつければ(あるいはつけなくても勘の良い人ならそのままでしばらく読み直せば)、現代の子育てにも共通したところも見えてきて共感をもつことができるだろう。想像力を働かせれば、江戸という都市の狭苦しい住環境で子育てに苦労している親の姿を映像として思い描くことができる。これが近代以降の川柳が模範とした写実句の一例である。
 一方、1765年から75年間で計167篇刊行された『誹風柳多留』の初篇、その記念すべき第一句は、現代人にはその意味を注釈なしで理解することは不可能である。「五番目」とは何のことなのか句の中にまったくヒントがなく、この句だけを眺めていても時間の無駄である。古川柳の注釈書を参照すると、これは江戸時代に流行った「六阿弥陀詣」で回る同じ木から彫り出されたとされる阿弥陀様のうち、五番目は江戸にあるよ、という意味だとのことである。
 意味が注釈なしでは分からないという以上に重要なのが、注釈で意味が分かってもこの句の面白さを、初代川柳と同時代の江戸っ子たちが味わったように味わうのが不可能だということである。もっと言えば、この句が冒頭に置かれているのは、つまり、この句が分からないような人間はそもそも読者として想定されていなかった、また、分からない田舎者や馬鹿や古臭い知識人とは違って俺たちは新しい江戸の風情を共有できる仲間だ、というのが、川柳点前句付、特に『誹風柳多留』に関わる人々の思考だったということである。川柳が「庶民」の詩であると当たり前であるように言われてきたが、実際は、江戸という地域の先端的(と本人たちが思っていた)感性を共有している一定水準以上の知的エリートたちの慰みであったことは、しっかり確認しておいた方がよい。それ以前の上方(京都・大阪)中心で古典に真面目に範を仰ぐことをよしとする文化から、新興地域の江戸の「今」を味わう文化へ、その移行の時点で体験された解放感が初期『柳多留』を、現在に読んでも心の弾みのおきる箇所のあるような文化的財産としているのだ。
 さて、近代以降の「伝統川柳」は、「五番目は同じ作でも江戸産れ」やさらに注釈が必要となる謎々の句をある意味見ないようにして、「かみなりをまねて腹掛やっとさせ」の方向だけを抜き出し、模範とした。その背景にあるのは、近代化によって生み出された「日本国民」の平等性という意識である。実は、『誹風柳多留』初篇の時点では、「かみなりをまねて腹掛やっとさせ」を面白いと思えたのは、古典の縛りを抜け出して、積極的に江戸の町の日常を楽しみ、また他の地域の文化より上と考えるようになった、つまりかなり地域的に、知的に限定された人々のはずなのだが、間に挟まった「狂句」時代の否定を通して、また社会体制の変化を背景として、そうした限定を解除し、これは「庶民」の描いた「庶民」の姿でそれがよい、私たちも同じことをするのだ、と誤読に基づいた飛躍がなされた。
 この辺りは大きな事情としては、俳諧から俳句への変化とも共通するところが多いだろう。子規の写生が西洋画の用語の借用であり、それが新聞という媒体によって、これまでの旧派の地域ネットワークを飛び越して「日本国民」に共有しやすかったことが、現代の俳句のスタンダードを作っている。川柳においても、近代における江戸人(しかも「粋」が分かる男性」)限定の視線を基としていたものが、「国民」(ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」としての)のそれに拡大され、また川柳特有の事情として「庶民」化されたのである。
 このように初期柳多留の一部の傾向(確かに後の世から見て面白い部分ではあるのだが)を抜き出して始まった「新川柳」は「川柳」と名前を変えながら、大正から昭和初期にかけて都市部の若者らも引きつけて、その中から後に「六大家」と呼ばれるようになる有望作家・論者が登場してくる。彼らをリーダーとするグループが寄った雑誌を、前後の展開がある場合はそれも含めてノートしておく。

・ 「番傘」(西田当百・岸本水府(1892-1965)、1913年(大正2年)←「関西川柳社」(今井卯木、1909年(明治42年)))
・ 「ふぁうすと」(椙元紋太、1929年(昭和4年))
・ 「川柳雑誌」(麻生路郎、1924年(大正13年))→「川柳塔」(1965年(昭和40年))
・ 「川柳研究」(「国民川柳」川上三太郎、1930年(昭和5年))、1934年に改名←井上剣花坊)
・ 「川柳きやり」(村田周魚、1920年(大正9年)←井上剣花坊「柳樽寺派」1905年(明治38年)結成)
・ 「せんりう」(前田雀郎、1936年(昭和11年)←阪井久良岐「久良岐社」1904年(明治37年))→「川柳公論」(尾藤三柳、1975年(昭和50年))

 これらの作家、グループは主張や作品傾向の違いは少しずつあるものの、初期柳多留の写実句を模範として「庶民」の姿を表現するということでは一致している。この流れに各地方の結社が集まって現在まで続いているのが、制度としての「伝統川柳」といってよいだろう。
 確認しておきたいのは、今からは古臭くも見える「伝統川柳」(岸本水府はこの語を嫌って「本格川柳」と言い、「番傘」は現在でも〈本格川柳 牙城!〉をキャッチフレーズとしているが、現在のところその意味は「伝統川柳」と変わらないと見えるので、水府には気の毒だがここでは「伝統川柳」で統一する)は、それが勢いのあった時代には、都市部を中心に、若者をも惹きつける文化として機能していたということである(田辺聖子の岸本水府伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』が参考になるのでご一読を)。昭和初期の「新興川柳」や第二次大戦後の前衛川柳といった動きには「伝統川柳」は古い、という意識をもった人々が参画していたが、そうした運動はどちらかといえば、関東や関西といった日本の文化的中心から外れた地域で盛んだった。一方、都市部で「伝統川柳」を書く人の目の前には、近代~第二次世界大戦後という時代の流れでダイナミックに変化していく新しい状況があり、それをどちらかと言えば単純な(と一見思える)「写実」という技法で即興的に書き留めるのに忙しかったのである。
 文芸的・技法的な改革よりは変化を続ける同時代の社会を写実することのほうに新しみがあり、人を惹きつけた。その例として一番分かりやすいのは、戦前・戦後にかけての「番傘」グループの隆盛だろう。その時代の成果を岸本水府監修、番傘川柳本社編『類題別 番傘川柳一万句集』(創元社、1963年)からあげておく。

第一球風船と鳩遠くなり       歴青
目の前に帽子を取った久しぶり    凡柳
一家全滅ですわと電話からも咳    凌甲
ベルがあるから押し売りもベルを押し 狂声
割りばしから生まれたように爪楊枝  一朗
鍋借りたお礼は鍋に入れてくる    純生
商標の消えたミシンでよく稼ぎ    舎人
フラフープやはり引力には勝てず   暁
六階へ上がるうどんと乗合わせ    萬楽
お好み焼かこむ俗論愛すべし     賛平
やけ酒のとめ手がないもさびしそう  紫苑荘
新大阪ホテルを抜けて立飲屋     水府
生ビール星がウインクしてくれる   狂雨
上手下手ラムネ一本飲むにさえ    唯義
とどめさすようにたばこを踏みにじり 丹平
上燗屋ヘイヘイヘイと逆らわず    当百
決心がつかず子犬に手を嚙ませ    桂花
また金魚買って一年くり返し     蜻蛉
いま水が出るぞとホースのたを打ち  弓夫
洛北の虫一千をきいて寝る      水府
つり皮をたどり知ってる顔へ来る   可明
スクーターとまった足が土を踏み   ひさし

 こうした作品は初期柳多留の写実句に範をとった「庶民」的日常詠という「伝統川柳」の〈理念〉に沿いながら、確かに、初期柳多留の句と同様、時代を越えた意識の弾みといったものを感じさせる佳句である。
 と同時に、「新大阪」「洛北」といった語の使用からは、一般(=「庶民))に「一読明快」な句を目指したはずの「番傘」句は、大阪(を中心とした関西)という地域性と深く関わってもいた(=大阪についてのあれこれが分かる人間を読者としていた)ことが分かる。先ほども名前をあげた田辺聖子は「番傘」の愛読者であり、「番傘」句のもっとも優れた紹介者だが、彼女の読みは古き良き大阪を句と共有していることが基盤となっている。藤沢桓夫・橘高薫風編『カラーブックス 川柳にみる大阪』(保育社、1985年)という本があり、「番傘」川柳と大阪の結びつきを写真もつけて見せてくれている(古本で手に入りやすいので、川柳に興味がある方はぜひご入手を)。「「番傘」は「伝統川柳」の最大の結社となり、現在も多数の同人を集めているが、ある意味で、江戸期の柳多留があくまで江戸人による江戸人による出版物であったのと、あまり変わらないところがある。「庶民」の生活や哀歓を描くといっても、その共有には実質的な基盤として、都市や地域といった「場」が必要なのだろう。
 とはいえ、上にあげたような「番傘調」の佳吟は現在また未来でも読み継がれてゆく価値があると思う。残念なことは(私の目の届く範囲からの判断ではあるが)、こうした魅力的な句が「伝統俳句」を謳うグループにおいても少なくなっていくことだ。『番傘川柳一万句集』は大結社「番傘」の総力をあげた企画(のはず)で、上に引用を行った最初のものから20年おきに「続」「新」と出版がつづき、つい昨年(2023年)に、「第4集」が刊行されている。私がもっているのは、3番目の「新」までだけだが、今回、佳句を選ぼうとして、磯野いさむ監修、番傘川柳本社編『続・類題別 番傘川柳一万句集』(創元社、1983 年)をペラペラとめくっていたのだが、すぐにその気が失せてしまった。第一集(1963年刊)はページをめくるごとにおっと目を引く句があり、それを抜いていくのも楽しいのだが、第二集にあたる「続」(1983年刊)、第三集の「新」(2003年刊)は、写実味が少なく、ありふれた思いつきを書いているだけ、しかも無駄な語も多い句が並んでいてうんざりさせられる。60年代からいったい何があったのだろう、と不思議に思う。不思議に思いながら、いや、何にもなかったからこうなっていったのかな、というのが答えのような気もする。「理念」としては写実を重んじるとしながら実際の句の吟味を怠るようになったから、と外部からは見える。
 「第4集」を読んで21世紀に入ってからの展開を確認したいが、「番傘」のウェブサイトによると、「類題別 番傘一万句集 (第4集)購入希望の方は番傘誌巻末の申込用紙に住所、氏名必要部数を記入の上、ファックスで本社事務局までお申し込みください。送料は一冊の場合310円です。」ということである。厳しいことを書くと、現在でも川柳界を代表する大結社の「番傘」が一般流通ではない出版を選んでいることは非常に残念である。

 時評っぽくないことを長々と書いてしまったが、一般には「伝統川柳」がほぼ見えないようになったまま新しい川柳への動きが出てきているのが現状である。できれば、明治からの歴史の厚みをもつ(はずの)「伝統川柳」も今からの川柳に合流してほしい。
 最後に、最近川柳を書き始めた人たちの作品から、「写実」が効果的に用いられている句を紹介しておく。

電線と電線の影とあやとり      佐々木ふく
一人ずつテーマカラーのある社員
暴力を見たり聞いたり笑ったり
じっと見るうちに終わっていく喧嘩
転職をすすめる冬のエレベーター

 # 「川柳句会ビー面」投句より(ササキリユウイチ氏のnote参照)


実家の上を飛んだ 土が見ている   小野寺里穂
ほっぺたの肌理さわがしい今日のばくはつ
ジェラートの形に沿って伸びる息
稜線になって見下ろす耳の穴
上映されないシーンで昼寝
 # 小野寺里穂川柳句集『いきしにのまつきょうかいで』他より

真実か挑戦かまだ軋む椅子      太代祐一
擦れてるエレベーターの開ボタン
星々がむせる背中をさすってる
シャッターを切るたびに崩れるケーキ
殺到 恋人達 耳へ
 # 太代祐一X(旧Twitter)アカウントより



俳句時評176回 「殺すぞ」と言われる前に――町田康『入門 山頭火』を読む 谷村 行海

2024年01月04日 | 日記
「物書きの看板を上げておきながら山頭火も知らないでどうする。世の中をなめているのか。殺すぞ」

 2023年12月5日に春陽堂書店から刊行された『入門 山頭火』は、作者の町田康へ向けられた衝撃的な言葉から始まる。そして、この言葉を契機にして春陽堂書店の『Web新小説』に掲載された原稿をまとめたものが本書となる。
 『入門 山頭火』は二部構成で、第一部「解くすべもない惑ひを背負うて」は、山頭火が行乞に至るまでの来歴をまとめたもの。また、第二部の「読み解き山頭火」は町田康が山頭火の句を独自に解釈したものだ。
 周知のとおり、町田康は小説家であり俳人というわけではない。ゆえに正直なところ、専門外の人間が山頭火を解釈した本を読むよりも、同じく春陽堂書店から刊行されている村上護の『山頭火 漂泊の生涯』や中公文庫の石川桂郎『俳人風狂列伝』を読んだほうがよっぽど山頭火への理解が深まるのではないかという思いはあった。だが、タイトルにも「入門」とついている通り、この本は単純に解釈を求める本というわけではなく、あくまでも山頭火を知るきっかけの本。それも、山頭火という人間のことを幅広い層に伝え広めるという趣向の本という印象を受けた。

 単に山頭火の来歴などを紹介するだけでは、日ごろから俳句に親しんでいない人や山頭火にさして興味のない人はすぐにページを閉じてしまうだろう。ところが、町田康の手にかかればそうはならない。例えば、山頭火の援助をした兼崎地橙孫の説明は次の通りだ。

 この地橙孫という人は年は若いが、いやさ若いからこそ、伝統的な俳句をぶちこわして新しい俳句をガンガンやっていこうという過激派というか、パンクというか、そういうなかで目立っていて、熊本で、『白川及新市街』という雑誌を創刊して、まるで目黒で目白が爆裂したような俳句をこしらえて赤丸急上昇中のいかしたGuyであったのである。

 このように、町田康の小説を読んでいるときと全く同じようなパンチのある文章により、山頭火の来歴やそれにかかわる人物たちが紹介されていくのだ。そして、1つあたりの章は10ページ程度。パンチのある文章に良い意味で翻弄されていくうち、するすると山頭火の人生が頭に入っていく。これであれば、文体による好みこそあるかもしれないが、山頭火をよく知らない人間であってもとっかかりやすいことだろう。
 また、町田康自身が妙に自身なさそうな部分が随所に見られるのも好ましい。先に挙げた『山頭火 漂泊の生涯』の話が「いまのところこれしか読んでいないからこれにばっかり拠ってる」「困ったときの『山頭火 漂泊の生涯』頼み」「人と人の間にどのような感情の通交があったかは、いつ何時も解らない。うかがい知れない。ただ、銭金のことなら少しは解る。何故かというと村上護『山頭火 漂泊の生涯』を読んだからで」などといった具合に登場する。知らない領域のことを知ろうとするとき、一方的に断定的な書き方・言い方をされてしまうと辟易してしまう方も一定数いることと思う。だが、このような少しばかりの自身のなさのおかげで、山頭火を知ろうとしてこの本を読んでいる読者に近い立場で物事が言い表される結果となっており、読者は書かれた内容を受け入れやすいものとなっている。
 さらに、第二部の句の解釈についても、多数の句を取り上げるのではなく、5つの句だけに焦点を当てたのも入門としてとっかかりがいいように思う。俳句をよく知らない人からすれば、いきなり多数の句の解釈を言われたとしても、それがどういう意味かを瞬時にのみこむのは難しい。だが、句の数をしぼり、そして、その句の描かれた背景にあるものを丁寧に描くことによって一句への理解が深まり、ほかの句を読んでみようという前向きな気持ちも生まれてくる。
 このように『入門 山頭火』は、入門書としてはこれまでにないタイプのもので、多くの人に受け入れやすいものとなっている。「山頭火を知らないでどうする。殺すぞ」などと言われる前に一人でも多くの方がこの本を読み、山頭火を知るきっかけになってほしい。

俳句時評175回 令和のクリスマス俳句鑑賞 三倉 十月

2023年11月25日 | 日記
 サンクスギビングがあるアメリカと違って、11月に目立ったイベントがない日本では、ハロウィン終了と同時に街はクリスマスに変わる。今年も11月頭から都内の商業施設には大きなツリーが飾られ輝いていたが、夏日の暑い日があったりしたのでちぐはぐな感じは否めなかった。やはり2ヶ月もクリスマスで引っ張るのは無理があるのでは? と思うわけだが、それはそれとして、今回はクリスマスの句を鑑賞してみようと思う。

 日本のクリスマス。戦後の高度成長期に盛り上がって行った催事なのかと思いきや、明治29年に正岡子規がクリスマスを季語(季題)にしたとの記述を見つけた。折角なので、子規のクリスマスの句から始めたい。

八人の子供むつましクリスマス    正岡子規

 クリスマスの日に、子供たちが集まっている。それだけの景だが、病に伏している子規が、この賑やかさをどれだけ嬉しく思っているのかが伝わってくる明るい句だ。子規も子供たちと同じように、ウキウキとした気分になっているといいなと思う。

長崎に雪めづらしやクリスマス    富安風生

 こちらは昭和3年の、富岡風生のクリスマス句。長崎の町に、珍しく雪が降った。それだけならまだしも、クリスマスなのだから嬉しさも尚更だ。当時はまだホワイトクリスマスとは言わないかもしれないが、雪と夜景の長崎は、それはそれは美しいだろうと思う。

へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

 さて、クリスマスの句と言えば……で、有名なのがこちらの句。イメージとしては賑わう街の片隅にあるクリスマスとは無縁の食堂の景だ。どうやら外はクリスマスらしいが、自分には関係ないとワンタンを啜っている。この句が詠まれたのは昭和24年、終戦から5回目のクリスマス。サンフランシスコ講和条約まではまだ3年あるが、平和が日常になったことをを感じさせる。

 ちなみに、この句はクリスマスへのアンチテーゼのような形で紹介されているのを見かけることはあるが(それも理解できる)、秋元不死男本人は思いのほかクリスマスの句が多い。(クリスマス好き?)

目刺みな眼をくもらせてクリスマス 秋元不死男
点眼に額みどりめくクリスマス

 こちらの二句は、どちらかというとワンタンの句と同じで、日常のかなりどうでもいいことと、クリスマスが取り合わされている。ワンタンをすするほどのインパクトはないが、それでもクリスマスを詠みたかったと言うのは少し面白い。ただ、二句目の「額みどりめく」のは、のけぞった頭の先にツリーがあるから?という風に読めなくもない。

燐寸ともし闇の溝跳ぶクリスマス  秋元不死男
燭の火の根元の青きクリスマス

 こちらは、どちらも何となくクリスマスを感じる。小さな明かりと闇の対比は、聖夜と繋がる部分がある。と、思っては見たものの、何故、燐寸の明かりで闇の溝を飛んでいるのか。しかもクリスマスに。何かから逃げているのだろうか。クリスマスに?


 昭和後期、山口誓子は毎年クリスマスの句を詠んでいた。特にクリスマスツリーを見るのが好きだったようだ。聖樹の句がとても多い。ここに挙げたのは、ほんの一部である。

聖樹には大き過ぎたる星と鐘    山口誓子
聖樹より垂れゐる小さき教会堂
聖樹にて鳴ることもなき銀の鐘
聖樹には綿をこんもり積もらしめ
病院の聖樹金銀モール垂る
ホテル廣場電飾のみの大聖樹
レストラン綿で聖樹の雪増やす

 主に昭和53年〜58年ごろに詠まれたもの。しげしげと聖樹を見つめている。病院で、ホテルで、レストランで、街中の様々な場所で聖樹に目を止め、その一つ一つを詠んでいる。最近の商業施設のツリーの飾りなどは、どこで見ても似たような感じだなと思ってしまうこともあるが、それでも細部に目を止めて句にしていくと30年後に読み返して時代の空気を感じる懐かしい句になるかもしれない。

みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季可

 さて、同じ聖樹の句でもまたがらりと雰囲気が変わる句。何度かこの連載で引用させてもらっている堀田季何さんの『人類の午後』に、クリスマスの章があったのでそちらから。天使の人形が飾られているクリスマスツリーは一見可愛らしいのかもしれないが、「みな」「吊られてをりぬ」と表現されると、突然世界の薄皮が一枚剥がされたような、薄寒い感覚を覚える。

それぞれに森を離れてきて聖樹   矢野玲奈

 色々と飾られたり、吊るされたりしている聖樹だが、こちらは木そのものを詠んだ静謐な句。森から遠く旅をして、時と場合によっては海も渡って、色んな街の色んな家に届いて、飾り付けられ聖樹となる。最近はフェイクのツリーを飾る家の方が圧倒的に多いと思うが、生のもみの木の爽やかな芳香は堪らなく良いものだ。今も静かに佇む遠い森を思いながら、一つずつ飾り付けていく。

陣痛に悶えてマリア聖夜劇     堀田季可

 もう一句、『人類の午後』から。聖夜劇は見たことがないのだが、子供たちが演じることが多いことを考えれば、出産シーンは必須とはいえ陣痛に悶えるマリアはいないだろう。ただ、実際の出産の現場ではそんなことはあるはずもなく。遥か昔の伝説、史実、ファンタジーの中の真実は今となってはわからないが、この句を読むと、聖夜の厳かさを上書きするような、マリアの汗の香を感じるのである。

アマゾンの箱破る快クリスマス   小川軽舟

 賑やかで楽しく現代的なクリスマス。多くの人が一度は破ったことがあるだろう、アマゾンの箱との取り合わせが面白い。正直、アマゾンから届くのは日用品の方が圧倒的に多いが、時折は贈り物もある。そして、クリスマスの季語が明るさを添えている。最近はアレクサがアマゾンから届くものをぺらぺら教えてくれてしまうので、サンタから子へのプレゼントは決してアマゾンに頼まないの言うのは、昨今の親にとって重要なライフハックである。

自殺せずポインセチアに水欠かさず 矢口晃

 クリスマスの明るさがあれば、それに対比するように影もある。この句はクリスマスとは一言も言っていないけれど、クリスマスの気配を強く感じる。外の世界の煌めきとの対比するように、暗い部屋の片隅で、目に痛いほど赤いポインセチアを見つめている瞳に光が差していない。それでも此岸に留まる限り、水をやる。クリスマスがやってきても、通り過ぎても、波はやり過ごすのが大事なのだ。

コロッケの中の冷たきクリスマス 小野あらた

 こちらは多分、一人のクリスマス。レンチンに失敗してコロッケの中がまだ冷たい、というのはまあまあ良くあることだけど、クリスマスだからこそちょっと面白い句になった。あと30秒温めを追加して食べよう、コロッケ。

離陸せぬうちに眠れりクリスマス 夏井いつき

 仕事も仕事以外も大詰めの年末進行。それでも故郷に帰る日に乗った飛行機で、そういえば今日がクリスマスだったことに気づく。東京のキリッと晴れた夜の夜景は、クリスマスに相応しく美しいだろうに。夢の中で見るしかない。今年もお疲れ様でした。Merry Christmas、あらため、Happy Holidays!



出典
『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』(左右社)佐藤文香編著
『俳コレ』(邑書林)週刊俳句
『昭和俳句作品年表 戦後篇』 (東京堂出版)現代俳句協会
『昭和俳句作品年表 戦前・戦中篇』 (東京堂出版)現代俳句協会
句集『人類の午後』(邑書林)堀田季何
句集『無辺』(ふらんす堂)小川軽舟
575筆まか勢 fudemaka57.exblog.jp 「クリスマス」

俳句時評174回 多行俳句時評(9) 出会い損ねる詩(3) 斎藤 秀雄 

2023年11月02日 | 日記

 引き続き、酒卷英一郞氏の三行作品を読み進めたい。読みの方針は、前々回、および前回記事と同様である。「出会い損ねる」という、詩との出会い方を、受け入れつつ、しかし抗ってみること。
 なお、酒卷氏の作品において、表記は一貫して正書法が用いられているが、文字コードやフォントの都合上、表示しえないものは、それぞれ新字体に改めた。

胡麻和えは汝に
黑胡麻汚しは
そちへかな

 『LOTUS』第6号(2006年)「阿哆喇句祠亞 αταραξία XXII」より。この人を食ったような、とぼけたような「作風」を眼前にするとき、「ああ、酒卷作品を読んでいるなあ」という「実感」に襲われる。もちろん「実感」などというものは、「実感」という印象を伴った知覚のひとつに過ぎないのだから、騙されてはならないだろう。
 コンスタティヴな「句意」は見たままだが、ひとまずパラフレーズするなら「胡麻和えはあなたに。黒胡麻汚しはそちらのあなたに」となるだろうか(《》の自称としての用法は、古代においてあったようだが、ここではそこまで穿った読み方をする必要はないと思う)。本作を読むさい、重要なポイントと考えられるのは、本作の背後に(下に、でも、上に、でもよいのだが)いかに間テクスト的な・テクスト参照的な重層性(深さ、とか、重み、とか呼んでもよいかもしれない)があろうとも、なによりもまず「強い句意」が、ある明瞭さの印象を伴って、読みの領域に勃勃と立ち上がる点だ。これを無視することはできない。《》と《そち》、《胡麻和え》と《胡麻汚し》はそれぞれ同義であり、つまり文字面を変えつつ、二度、同じことを述べていることになる(だから「人を食ったような、とぼけたような」と述べたのだ)。対称(二人称)を二度使うことは、語り手の眼前に二人の人物がいると仮定すれば、不自然な点はまったくない。
 パフォーマティヴな句意はどうか。面白いのは、一行目と、二・三行目の印象が、まるで異なる、という点だろう。この印象の違いは、並べて配置する、アレンジメントの効果である。「胡麻和えは汝に」という文も「黒胡麻汚しはそちへ」という文も、それぞれ単独では、本作の与えてくる印象を備えることがない。このアレンジメントにおいて、《和え》・《汚し》の対称的な語が、まずはこの違いをもたらしている。二行目の《黑胡麻》は、反照して、一行目の《胡麻》を白胡麻としてイメージさせることだろう。
 近年、「黒」を悪しきものの象徴として用いることに対し、ポリティカル・コレクトネスの観点から異議が唱えられているが(「ブラック企業」等の言い回し)、我々の知覚の構造によるものか、知覚の構造を維持しようとする保守的慣行によるものか、《汚し》の語の効果もあいまって、二つの行為は、「青眼を向けられる者への行為」と「白眼視される者への行為」という正反対の印象を備えることになってしまう。句意の、コンスタティヴ/パフォーマティヴの差異の、乖離。ここにおいて、本作は、明らかに散種のテクスチャを湛えており、詩がある。注意すべきは、詩は、コンスタティヴな句意から、あるいはパフォーマティヴな句意から発生しているのではなく、あくまでも「違い」から発生している、という点である。

なみおみの
なんぢきやりこの
からしうす

 『LOTUS』第7号(2006年)「阿哆喇句祠亞 αταραξία XXIII」より。ひらがなに開かれた作品も、酒卷作品に多く見られる特徴のひとつである。かなに開かれた作品は、仮に視覚を用いて読むのであれば、視点の引っかかりを失っており、外形・輪郭からじっくりと、形状を知覚し、最終的に一字一句について知覚する、というプロセスを経させるものといえるだろう。このとき紛れ込むのが、いわば「表記的マラプロピズム(誤用語法)」ないし「表記的タイポグリセミア」である。タイポグリセミアは文章の表記について生じる認知上の現象であるから、「表記的」というのもおかしな言い方ではあるが。タイポグリセミアとは、たとえば「こんちには みさなん おんげき ですか」という文(単語の文字の順番が、「正しい」ものとは異なっている)を目にしたとき、誤記(typo)があっても文意を推測できてしまう(場合によっては誤りに気づかない)現象である(文例は久保田・藤川・鈴木、2023、「タイポグリセミアを用いたMulti-model CAPTCHAの提案と評価」『産業応用工学会論文誌』vol.11, no.1より)。しかしながら、本作を読む体験において生じているのは、マラプロピズムでもタイポグリセミアでもなく、かつどちらでもある、という奇妙な事態であるように思われる。
 本作の、一行目《なみおみの》を、まず私は「おなもみの」と空目してしまった。おそらく酒卷氏であれば旧仮名遣いで「をなもみの」と書くだろうと推測できるにもかかわらず、である。俳句作品を読むという文脈に拘束されており、なおかつ《なみおみ》という語に親しみがないからだ。次いで、三行目《からしうす》を私は「からすうり」と空目してしまった。理由は同前。そうなると、二行目は何に空目させようとしているのだろうと、奇妙な詮索への、奇妙な誘惑にもかられる。「なんじゃもんじゃ」だろうか。いや、「空目させようとしている」というのは勝手な決めつけであって、こうした誘惑は倒錯的なものだが。空目、つまり別の語に見間違える、という事態は、マラプロピズムの機序に似ているが、アナグラム的に文字を入れ替えることで空目する、という事態は、タイポグリセミアの機序に似ている。
 ひとまず、本作のコンスタティヴな「句意」をパラフレーズしておこう。「水死したあなたは、三色斑(calico)の鮒(Carassius)(つまり金魚)であることよ」となるだろうか。《なみおみ》つまり「波臣」は、「はしん」と音読みで読むことが通例(?)であるようだが(人名においては宰相花波臣〔さいしょうかなみおみ〕、氏族名においては高志之利波臣〔こしのとなみのおみ〕と訓読みする例がある)、水中に君臣関係を投影して、魚類のこと、転じて水死者を意味するようだ。《きやりこ》つまり「キャリコ」は三色斑の模様のことで、とくに金魚について言う(「キャリコ 金魚」のフレーズで画像検索されたし)。《からしうす》つまり「Carassius」はフナ属の学名。
 弔句とも読める。また、水死者と金魚を重ね合わせることは、エズラ・パウンドが荒木田守武の発句に見出した重置法(super-position)が採用されている、とも読める。しかし、もしそれだけなら、三行目は「きんぎよかな」であってもよかったはずだ……いや、そもそもひらがなに開かれる必要もなかったはずだ……などとも思わせる。《なみおみ》を「おなもみ」と空目したのは私の粗忽によるものに過ぎないかもしれず、「作者の意図」は《からしうす》の語によって無関係の「芥子」「臼」のイメージを立ち上げさせる点にあるのかもしれない。ポイントは、読者は必ず空目するわけではないし、必ず単語の音から無関係のイメージを立ち上げるわけではない、という点だ。ここに、酒卷氏の「賭け」を見出さざるをえない。

夢よりの
根深を抽くや
夢のあと
 『LOTUS』第8号(2007年)「阿哆喇句祠亞 αταραξία XXV」より。一読して、永田耕衣の《夢の世に葱を作りて寂しさよ》、および芭蕉の《夏草や兵どもが夢の跡》との間テクスト関係・テクスト参照関係に気づく。《根深》は長葱のことだろう。《あと》を「後」と読めば(まずは、そう読める)「夢から育ってきた長葱を、夢から覚めたいま、抽いてみる」となるだろうか。この第一の印象、第一の読み自体、奇想と言えて、面白みがある。耕衣句の《夢の世》が、「夢のように儚い此の世」とも、じっさいに語り手が睡眠中に見ている「夢の中」とも読めるのに対して、この読みにおいては「夢とうつつ」が区別され、かつ、《根深》がその区別を越境している。否、《抽く》という行為が越境しているのかもしれない。詩嚢としての《》から、詩のエッセンスを抽出しようとしている、と読めば、詩人の営みを詠んでいるとも読める。いまの世はもはや(耕衣の時代と違って)《夢のあと》である、と読むなら、現代・現在の俳句への批評にもなるだろう。
 俳句批評のラインでの読みを促すのは、芭蕉句を想定するからでもある。つまり《あと》を「跡」と読む可能性、である。芭蕉句の《兵どもが夢》は、藤原三代、もしくは義経主従の《兵ども》が功名の《》を見た、と読む説と、語り手の《》のなかに義経たちが現れた、と読む説とがあるらしいのだが、いずれにしても《夏草》の土地が、《》であろう。本作に反照させれば、文学の夢、文学に対して抱かれていた《》が、いまとなっては《あと》(跡形)である(あるいは「跡形」もないのだろうか)、とも読める。とはいえ、「諦念」「嘆き」と読んでしまうことには、違和感が残る。本作で語り手は《抽く》行為をしているからだ。抽いた結果、どうであったかは、語られないにしても。
 私なりの、少々つっこんだ読みを試みるなら、《》とは(山本健吉が耕衣句に対して読んだように)「夢のように儚い此の世」であり、《夢のあと》とは死後である、とも読めるかもしれない。違うかもしれない。書かれてあることからは、いずれとも判断はできない。このとき、ここにあるのが「夢とうつつ」の区別であるのか、「生前と死後」の区別であるのか、不定となる。この不定性において、私は本作を読みたい。

なはおびを
しぼればこたふ
あきのこゑ

 『LOTUS』第9号(2007年)「阿哆喇句祠亞 αταραξία XXVI」より。再び、ひらがなに開かれた作品。「縄帯を絞れば応ふ秋の声」と、「開かれ」を元に戻してみるなら、まずはコンスタティヴな「句意」が分かる。現代では縄帯は、洒落た、気軽な帯として用いられている。井原西鶴は『諸艶大鑑(好色二代男)』において、吝嗇そうな登場人物を《油屋の手代らしい、二十四五位の男が上がつて來たが、見ると柿染の布地の着物に繩帶を締め、縹色の木綿犢鼻褌が見え透いてゐるばかりか、懐の塵紙さへ汚らしくほの見えてゐる》(吉井勇現代語訳)と描いており、あまり「洒落た」感じはなかったのかもしれない。事典のたぐいには、はじめ遊女やあぶれ者が用い、のちに一般にも広まった、との記述もあり、時代によってニュアンスは異なるのだろう。ともあれ、着物の縄帯をキュッと絞ってみれば、キュッと応える、それが秋の声である――といったような、気風がいい東男のこざっぱりとした、小粋な一場面を描いた、まこと気持ちの良い作品である、ともなろう。なるほどクールジャパン。
 これをかなに開くことで、そうは読めなくなってしまう点が面白い。「まこと気持ちの良い」句意をもたせるだけならば、かなに開く必要はないのだから。もちろん三行表記の効果もあるだろう。縄帯は、かつては村八分の制裁に用いられるなど、残酷な含意が籠った物件である(茜頭巾なども同様に用いられた)。目に見えるスティグマとして、マークとして用いられたのだ。これを前提とすれば、本作品がほのめかしている事態(昨今の流行語でいえば「匂わせ」)も、言わずもがな、となる。ギュッとやれば、ギャッと応える。虐待の場面か、殺害の場面か、一度のことなのか、反復性のあることなのか、それは書かれていない。けれども、共同体の悪性を、つまびらかに描いている作品であろうと思う。本作が傑出しているのは「開かれを元に戻し」たときの句意(コンスタティヴな句意)と、かなに開かれ、三行表記された際のほのめかし(パフォーマティヴな句意)とが、異なる、関連のない意味になるのではなく、表裏一体の、単一の現象を二つの角度から描いたものとして分岐するからである。この「単一の現象」を、ナショナリズムだとかエスノセントリズムだとか呼ぶことも可能ではあるにしても、人類が目下のりあげている暗礁は、文明の起源、「人間」がその名を負うことになった起源に関わっていることのように思われる。アドルノが『プリズメン』第一論文において提示したかの有名なテーゼは、「文化批判」からすでに「文明批判」へと一歩逸脱している(踏み込んでいる)と読むことも可能なのだ。

(つづく)




俳句時評173回 川柳時評(9) 川柳のさまざまな場 湊 圭伍

2023年10月28日 | 日記
 夏から秋にかけて、川柳に関する話題が多かった。今回はとりあえずそれらを列挙してみる。

①暮田真名「夢み」(『文學界』10月号の「巻頭表現」)

 まずは、暮田真名による「夢み」10句が、『文學界』10月号の「巻頭表現」として発表されたこと。ここでは10句中2句を引用する。

言いなりになって瑪瑙のアップリケ      暮田真名
急に栄えるなんてひどいね

 一般の商業文芸誌の巻頭に川柳が登場したことはこれまであったのだろうか。ともあれ、ベトベトしない軽みがある作風のこの作家がいまの川柳の先頭を走っていることは大きい。

②『アンソロジスト』vol.6「【特集】川柳アンソロジー みずうみ」

 季刊誌『アンソロジスト』vol.6の「【特集】川柳アンソロジー みずうみ」は、全ページの半分ほどを使った力のこもった特集。川柳作品としては、なかはられいこ、芳賀博子、八上桐子、北村幸子、佐藤みさ子の6人の実力派作家が20句連作を披露している。特に、川柳の新しい領域を静かに切り開いていく佐藤みさ子の作品が、狭い川柳の世界の外の人々の目に入ったことが素晴らしい。

ゆくえふめいのかおのはんぶん        佐藤みさ子
「足よゆくな」とさざなみの声

 刊行元の田畑書店は〈ポケット・アンソロジー〉 として、お気に入りの作品をファイルしていくという新しい文学の楽しみ方をとして提示している出版社で、〈現在〉の文学に敏感にアンテナを立てているこうしたメディアが文芸川柳を 大きくとりあげるのは久しぶりのことだろう。
(noteにこの特集の鑑賞記事を書いたので、ご一読ください。
 「川柳とは何か―《川柳アンソロジー みずうみ》(『アンソロジスト』vol.6 より)」
 https://note.com/umiumasenryu/n/nfb097566a0dd
 また、この特集のスピンオフ企画として、ネット上で活動している川柳作家に呼びかけて開催した「#川柳みずうみ連作 大会」に集まった作品がこちら。
 「「#川柳みずうみ連作 大会」エントリー作品まとめ、および、〈みずうみ〉大賞投票」
 https://note.com/umiumasenryu/n/ndcf679433b10
 この特集は『アンソロジスト』vol.6としてだけではなく、ポケット・アンソロジーの作品リフィルセット《川柳アンソロジー みずうみ》としても購入可能なので、みのがした人はこちらからどうぞ。
 「作品リフィルセット《川柳アンソロジー みずうみ》」
 https://tabatashoten.thebase.in/items/78201255

③まつりぺきん編『川柳EXPO: 投稿連作川柳アンソロジー』

 いま全国の小書店で売れているのが、まつりぺきん編『川柳EXPO: 投稿連作川柳アンソロジー』。川柳作家まつりぺきんの呼びかけで、各作家が20句を寄稿、作品募集から2,3ヶ月というスピードで出版された。誰でも参加可能、ベテランもほぼ初めて川柳を書いたという人も完全にフラットな扱いで並べられ、出版後のTwitter(X)でのコメントや朗読投稿(#川柳EXPO)でも盛り上がった。1000句以上入ったアンソロジーだが、そのうち数句を紹介しておく。

道も違うしドライアイスのことでもない       おかもとかも
ぬめぬめの肌 めぬめぬの樹木葬          林やは
チャンピオンベルトは縦に切ってくれ         西沢葉火
コピーしといてと風船の束渡される         佐藤移送
手を下げる。夏を終わりにするために。       下城陽介

もうこの街と呼ぶには回りすぎた。
俺様は言つた尻の斑に嵌つた脱力のエスカレータ拭き
 ササキリユウイチ
 *二行の長律作品
三角に切って西瓜をはじめます           上崎
どの海もつながっているという嘘          下野みかも
また雨でミシンを棄てる日が延びる         小原由佳
棒人間不可避                   栫伸太郎
半減期に抗いたいんだよろしくね           雨月茄子春
停戦をラインに沿って切り取った          城崎ララ
お祭りで風を買ってもすぐ失くす          小橋稜太

 数句、と書いたのに、引いていたら多くなってしまった。好句が多い。連作として仕掛けがある20句もあるので、ぜひ手にとっていただきたい。Amazonでも購入可能。
https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A%E3%81%BA%E3%81%8D%E3%82%93/dp/B0CF4LKW96/ref=sr_1_1?crid=ZOEL5BRRE2HY&keywords=%E5%B7%9D%E6%9F%B3Expo&qid=1698416571&sprefix=%E5%B7%9D%E6%9F%B3expo%2Caps%2C162&sr=8-1
(こちらの感想もnoteにまとめたので、以下をご参照ください。
 「『川柳EXPO』感想まとめ」
 https://note.com/umiumasenryu/n/n83a5106c10a4

④オンデマンド句集―雪上牡丹餅『降ってきたリンゴ』『川柳・ジュニーク句集 摘んできたいちご』、成瀬悠『川柳句集 序章あるいは序説もしくは序論』

 いま、Amazonでも購入可能、と書いたが、『川柳EXPO』は元々オンデマンド出版、Amazonでの販売が軸ではある。同様のかたちで川柳句集を作る試みも出てきている。雪上牡丹餅は第一句集を『降ってきたリンゴ』で出版して、すぐに第二詩集『川柳・ジュニーク句集 摘んできたいちご』を発表、成瀬悠も『川柳句集 序章あるいは序説もしくは序論』で続いた。

スマホからお知らせしますここ地獄          雪上牡丹餅『摘んできたいちご』より
この川柳はおとりなんだよ
てやんでえTシャツじゃねえ丁シャツだ
暗転しコオロギだけが粉となる            成瀬悠『序章あるいは序説もしくは序論』より
片耳を見られないよう泳ぎ切る
トーストを読み込むだけの白昼夢


 川柳作家は従来、句集を作ることに対して腰が重いところがあったが、それも簡便でスピーディな出版方法の登場で変わっていきそうだ。

⑤文学フリマでの販売―ササキリユウイチ『飽くなき予報』、南雲ゆゆ『姉の胚』、森砂季『プニヨンマ』、他

 こちらはこの記事を書いている時点では未来の話になるが、④のような簡便な装丁ではなく、ただし従来の自費出版とは違い、独自にこだわった造本で句集をつくり、文学フリマや個人通販で読者を見つけようとする動きもある。ササキリユウイチ『飽くなき予報』、南雲ゆゆ『姉の胚』、森砂季『プニヨンマ』、他、小野寺里穂も句集を準備中とのこと。11月11日、東京流通センターで開催の「文学フリマ東京37」では、川柳関連のブースにも注目していただきたい。

⑥月波与生・真島久美子『いちご畑とペニー・レイン』

 ④であげた雪上牡丹餅『川柳・ジュニーク句集 摘んできたいちご』は、西沢葉火考案の「ジュニーク」(7音+5音もしくは5音+7音の12音からなる形式)をフィーチャーした句集で、この「ジュニーク」に見られるように現在の川柳ではもっと新しい試みをやろう!という機運が高まっている。月波与生と真島久美子による『いちご畑とペニー・レイン』は、短歌で考案された「いちご摘み」(前の歌・句の一語をとって次の語をつけてつないでゆく)を川柳で試み、一冊にまとめたものである。川柳大会で鳴らした実力派作家2人だけあって、個々の句にも面白いものが多いが、連句的な、あるいは連句がむしろ避けるような句と句のつながりからくる楽しみも多い作品集になっている。川柳の提示の仕方として、これをさらに洗練させてゆくというのもありそうだがどうだろう。

⑦地域の川柳句会・大会

 以上は、これまで川柳がとりあげられなかった一般文芸商業誌、また、ネットや文学フリマ、オンデマンド出版など、川柳としては新しい媒体を活用した作品発表である。一方で、新型コロナウイルスでの自粛を切り上げて、対面型の川柳大会を再開する動きが出てきている。上であげた多くの作家たちが、2020年10月出版の小池正博編『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)や、暮田真名がしかけた「川柳句会こんとん」(2021年10月1日から11月30日に、川柳初心者限定で投句を募集)以降に川柳を書き始めている。こうした作家は、従来の川柳の発表機会である川柳句会や川柳大会をまったく知らない(ただ、そもそも新型コロナウイルス自粛がなかったとしても、こうした作家たちが従来型の川柳の集まりに参加したとは到底思えないが……)。

 従来の川柳界での作品発表の主流は、〈伝統川柳〉(この説明をすると長くなってしまうので今回は省略)を中心とした句会や大会である。それぞれの地域の川柳会が運営を担いながら、全国のネットワークもあり、人気選者(例えば上に名前が出た真島久美子)は全国を飛び回りながら選を行っている。筆者は幸いこの世界にも選者として呼んでいただいたりして参加することがあり、今年7月22日に松山で開かれた「川柳まつやま 一朶の雲川柳大会」で、真島らと並んで選者をつとめさせていただいた。松山の川柳作家・松木慎吾がこの大会の様子をブログにくわしく書かれている。川柳大会の様子を知るのにぴったりの記事だと思うのでリンクを張らせていただく。
(松木慎吾ブログより、「第74回一朶の雲川柳大会開催される」
https://blog.goo.ne.jp/viviyori/e/361a1f09916b999de0b26766074e9bb0
 最近では川柳でも俳句と同じ互選、相互批評・コメント形式での句会が行われることが増えているが、従来型の「選者選」(選者が投句の中から指定された割合の句を選び、それを読み上げていく)がまだまだ主流である。松山では、11月3日に「愛媛県民総合文化祭・川柳大会」が開かれるが、こうした長年の地域での地道な活動を基盤にし、自治体の援助を受けるなどしてきた大会開催と、上で紹介した自分たちでメディアを開拓していくような新しい動きのあいだには、さまざまな意味で断絶がある。

 さまざまな場での川柳活動、川柳作品発表が以降、どのように交錯するか、もしくはこのままそれぞれの道を歩んでいくのか。それぞれの場での川柳を楽しみながら、たまには真面目に川柳ジャンルの広がりと、バラバラさ加減についても考える必要があるなと思う。