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Sightsong

自縄自縛日記

李政美『わたしはうたう』

2017-06-07 22:11:25 | ポップス

李政美『わたしはうたう』(オフィスとんがらし、1997年)を聴く。いぢょんみさんの最初のCDである。

李政美 (vo)
矢野敏広 (g, mandolin)
HALMA GEN (key)
和田啓 (クンダン, perc)

ゲスト:
向島ゆり子 (fiddle)
広瀬淳二 (ss)
塚本晃 (harmonica)
村山二朗 (篠笛)
宮崎節子 (チャング)

もうこのときから、歌声には堂々として湿り気があって、また聴きに行きたくなる。

金子みすゞの詩に李さんが曲を付けた「星とたんぽぽ」「わたしと小鳥とすずと」も良いのだが、何といっても、名曲「京成線」である。その歌詞「低い鉄橋のその下には/埋もれたままの悲しみ眠る」は関東大震災で虐殺された人たちのことであり、「川向うから吹く風は/なつかしい匂い運んでくる」とは皮革工場の匂いのことなのだという。(李さんのご両親は済州島生まれである。)

ところで、驚いたことに、12曲目「祈り」には広瀬淳二がソプラノサックスで参加している。さぞヘンな世界を創り出しているだろうと期待したが、普通の演奏だった。

●李政美
板橋文夫+李政美@どぅたっち(2012年)


齋藤嘉臣『ジャズ・アンバサダーズ』

2017-06-06 21:01:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤嘉臣『ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史』(講談社選書メチエ、2017年)を読む。

かつて、アメリカ発の「ジャズ大使」「ジャズ外交」があった。本書は、それによる相手国でのジャズ受容史であるのと同時に、アメリカ本国においてジャズへの認識がどのように変容していったかを追ったものでもある。

なぜならば、アメリカにおけるジャズとは、少なくとも為政者たちから見れば、当初は一段劣る芸能に過ぎず、自国を代表する芸術とはみなされないからであった。また、共産主義に近いものであり、危険な抵抗の運動であるとも認識されていた。白人が中心に座る国にあって相容れない側面もあった。

事態は変化し続けた。やがて、ジャズは反共の道具、アメリカニズムを発信するためのプロパガンダとして企図されるようになった。そうなればイメージ戦略こそが大事になる。1956年に初めてのジャズ大使に選ばれたのはディジー・ガレスピーであり、人種統合の象徴たることを期待されたわけである。その次はベニー・グッドマンだが、いかにも古く、メンバーとの軋轢も大変なものがあったようだ。デューク・エリントン、デイヴ・ブルーベックらは「高級」でもあり、「反動」のおそれはなく、また音楽は当然素晴らしいものであったため、各地で大評判となった。

しかし、ミュージシャンの側が、政府の期待する役割にやすやすとはまり、一枚岩になったわけではない。チャールス・ミンガスなどは何をしでかすかわからないから忌避された。オーネット・コールマンなどフリージャズも警戒された。ルイ・アームストロングは人種統合の象徴としてうってつけだったが、かれは、アメリカで実現していないことをイメージとして対外発信する欺瞞を指摘し、批判した。

一方の相手国でも、国によって、状況はまるで異なっていた。フランスでは、早くから、ジャズは黒人の音楽であり、自由の文化であり、コスモポリタニズムやモダニズムを体現するものであった。ソ連や東欧では、アメリカニズムの浸透や体制破壊のエネルギーを恐れ、デタントの時代でもその活動は厳重な監視下に置かれた。逆に、反米の象徴となることもあった。アフリカでは、ランディ・ウェストンが、アメリカにおいてよりも熱狂的に受け容れられた。タイではジャズファンのプミポン国王がジャズ大使一行とのセッションを繰り広げた。日本は極めて熱心にジャズを受けとめた。

総じて言うことができるのは、このような過程を通じて、ジャズがもはやアメリカ発祥の文化ではあってもアメリカだけの文化ではなくなったという歴史が形成されてきたことである。それは実に多様で魅力的だ。例えば、中央線ジャズや旧ソ連圏のジャズの愛好家にとってみれば極めて当たり前のことだが、「本場」はあちこちに存在するのである。そしてそれぞれが言葉や顔つきや空気のように異なっている。

こうして本書によって国も時代もまたがって旅をしていくと、ウィントン・マルサリスに象徴されるような「ジャズをアメリカに取り戻そうとする動き」も、相対化して見ることができようというものだ。


ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』

2017-06-06 07:20:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(Blue Note、-2017年)を聴く。

Louis Hayes (ds)
Dezron Douglas (b)
Abraham Burton (ts)
David Bryant (p)
Josh Evans (tp)
Steve Nelson (vib)
Gregory Porter (vo) (M-3)

レジェンドと呼ぶべきルイ・ヘイズがリーダー、ジョシュ・エヴァンス、デヴィッド・ブライアントらが参加し、ホレス・シルヴァーの曲を演奏している。これはと思い大いに期待してすぐに入手した。

確かにヘイズの嵐の如きドラミングは聴こえてくる。グレゴリー・ポーターが歌う「Song for My Father」も悪くない。ブライアントのピアノも知的に光っている。しかし、どうも勢いや突破力がない。せっかくのジョシュ・エヴァンスをこの音楽に押し込めてしまっては勿体ない。エイブラハム・バートンの熱さもいまひとつ感じられない。

これはなぜだろう。本当に勿体ない。ヘンに丸めた録音が理由か。

ルイ・ヘイズ『The Real Thing』(1977年)と聴き比べてみると、ヘイズやウディ・ショウやルネ・マクリーンやロニー・マシューズが生命力を発散しまくるような音とは、やはり雲泥の差。ミュージシャンの違いとは考えたくない。 

●ルイ・ヘイズ
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』(1977年)
フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』(1969年)

●エイブラハム・バートン
ジョシュ・エヴァンス@Smalls(2015年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)

ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)

●ジョシュ・エヴァンス
ジョシュ・エヴァンスへのインタヴュー(2015年)
マイク・ディルーボ@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls (2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
フランク・レイシー@Smalls(2014年)
フランク・レイシー『Live at Smalls』(2012年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)

●デイヴィッド・ブライアント
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)

●グレゴリー・ポーター
グレゴリー・ポーター『Take Me To The Alley』(2015年)


渋谷毅@裏窓

2017-06-05 23:11:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ゴールデン街の裏窓で、渋谷毅ピアノソロ(2017/6/4)。前回は早々に売り切れてしまったので、焦って予約した。客はカウンターの中も含めて12人。

渋谷さんがピアノを弾き始めるまでの時間、いつものように、お店では浅川マキが流れる。「センチメンタル・ジャーニー」、「それはスポット・ライトではない」、「夜」、「Just Another Honky」。みんな静かに耳を傾け、渋谷さんを見るともなく見る。渋谷さんが鼻歌でマキの歌に合わせ始めた。これだけで感極まってしまう。

渋谷さんはオリジナルも、エリントン曲「Mighty Like the Blues」も、「Body and Soul」、「Skating in Central Park」、「Stella by Starlight」、「You Don't Know What Love Is」、「Softly, as in a Morning Sunrise」、「Danny Boy」といったスタンダードも弾いた。浅川マキが歌った「My Man」も弾いた。要するにいつもの渋谷さんなのだが、いつも不思議に素晴らしい。ノンシャランとしてスピードを自在に自然体に操るピアノを聴いていると、飲んでいなくても酔ってくる。

最後は、やはりいつものように、「Lotus Blossom」、そして「無題」。

●渋谷毅
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
廣木光一+渋谷毅@本八幡Cooljojo(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅@裏窓(2016年)
渋谷毅+市野元彦+外山明『Childhood』(2015年)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
渋谷毅+津上研太@ディスクユニオン(2011年)
渋谷毅のソロピアノ2枚(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
『RAdIO』(1996, 99年) 
渋谷毅+川端民生『蝶々在中』(1998年)
『RAdIO』カセットテープ版(1994年)
『浅川マキを観る vol.3』@国分寺giee(1988年)
『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』(1987-92年)
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』(1985年) 
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
見上げてごらん夜の星を 


河村雅美さん講演「沖縄の基地と環境汚染ーその現状・ポリティクス・知る力」

2017-06-05 22:18:44 | 沖縄

OAMのNさんにお誘いいただいて、沖縄関係学研究会・近現代東アジア研究会主催の講演会「沖縄の基地と環境汚染ーその現状・ポリティクス・知る力」に足を運んだ(津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス)。講師は河村雅美さん(The Informed-Public Project)。

(最初に卒論発表が2つあり、興味もあったのだが、時間がなくて聴くことはできなかった。)

ベトナム戦争のときに、米軍はベトナムにおいて枯れ葉剤を大量散布した。また、出撃基地のある沖縄において、杜撰に保管し、杜撰に廃棄し、使用までもしていた。このことは、2007年に北部訓練場(やんばる)において使われていたとの報道があって、その後も、ジャーナリストのジョン・ミッチェルさんらによって米国情報公開法を使って追及され、報道されてきた(ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』など)。

河村さん曰く、汚染問題の報道は「打ち上げ花火的」になってしまう。自分の近くで汚染が起きているわけでない日本の者にとっては、なおさらである。

追及に際しての問題のひとつは、日米地位協定にある。この「環境補足協定」においては、問題の解釈や裁量はすべて米軍の側にある。文化財調査も返還合意がなければ日本側ができなくなった(2015年改悪)。この問題については、アメリカ政府→日本政府→沖縄県→市という権力構造があり、また県や市の側からもともすれば儀式化した要請や抗議にとどまり、なかなか解決の力学は働かないのだという。

最近発覚した問題のひとつに、沖縄市サッカー場でかつて地下に埋められた大量の枯れ葉剤のドラム缶が発見された事件があった(2013年)。嘉手納基地の跡地である。返還時ではなく、返還された後に生活空間として利用されていて発見されたわけであり、最近はこのようなパターンが続出しているという。そして、返還後の土地の環境汚染を規制する根拠法はない。従って監督官庁もない。日本政府は「エージェント・オレンジではない」として矮小化を図った。

重要なことは、住民参加、透明性と専門性を持たせた調査の監視であった。県と市はそれぞれ調査を行い、結果のクロス化を図った。しかし、2017年5月、突然、サッカー場が駐車場に用途変更された。実に不透明な決定過程であった。沖縄の側にも隠蔽・矮小化の力学が働くということである。

もちろん問題はこれだけでなく、北谷町上勢頭住宅地、読谷村の農地でもダイオキシン汚染が発覚している。単純にエージェント・オレンジだけというわけではなく、複合汚染というわかりにくい問題があるようだ。また、嘉手納基地周りの水源ではPFOS(有機フッ化化合物)の汚染がある。

そして、やんばるの北部訓練場も、汚染の問題は横に置いて、環境省はそれを「ないもの」として世界自然遺産への登録を進めている。しかし、世界遺産は、登録されたから保護されるものではなく、逆に、保護を担保する措置があるからこそ登録されるものである。このあたりの過程は不透明で、環境省と米軍、IUCN(国際自然保護連合)とのやりとりは開示請求するも不開示になったとのこと。日米両政府にも地元にも、米軍基地を「なかったこと」にして、返還跡地を国立公園化して利用したいという思惑がある。

生活空間の汚染による影響についてタカをくくり、サッカー場にしてもやんばるの森にしても、これまでの米軍の爪痕から目を背けて蓋をすること。これはあってはならないことである。問題の発生や解決の過程を透明化し、そのための場を作りだし、問題をパブリックなものにしていくべきだという提言は、とても納得できるものだった。

●参照
ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』
『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
大宮浩一『石川文洋を旅する』
森口豁『毒ガスは去ったが』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』


Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO

2017-06-04 12:23:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

東北沢のOTOOTOにて、「Spontaneous Ensemble vol.7」(2017/6/3)。

(ところでOTOOTOにはじめて足を運んだのだが、最寄りの東北沢駅の近くには絶望的なほどカフェがなくて、早めに着いたわたしは公園のベンチでぼんやり読書をするはめになってしまった。ぎりぎりの時間であれば東北沢、余裕があれば下北沢を使ったほうがよさそうである)

Joachim Badenhorst (cl, bcl, ts)
Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)
Straytone (electronics)
Takashi Masubuchi 増渕顕史 (g)

19:30~19:50 Joachim + Toshimaru Duo
19:50~20:10 Toshimaru + Masubuchi Duo
20:20~20:40 Joachim + Straytone
20:40~21:00 All Members Quartet

ヨアヒム・バーデンホルストの変幻さにとても惹かれる。中村としまるとのデュオではクラとバスクラにて、また、Straytoneとのデュオではクラとテナーで、強度のある電子音と一体化するようなアプローチ。全員での演奏では、ふたりの別地平にいる電子音に伍するようにマルチフォニックでも攻める。耳の中にはかすかな音の残滓が残るようである。

エレクトロニクスでは、中村としまるさんの構築(という言葉を使いたくなる)するサウンドは抽象の帝国、Straytoneのそれはこの世界ながら無人地帯でのとどめようもない力のような。そのような中で、増渕さんのギターがスライドも使いつつ、饒舌を排しながら、抽象と抒情との両方に介入した。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●ヨアヒム・バーデンホルスト
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』(2015年)
パスカル・ニゲンケンペル『Talking Trash』(2014年)
ハン・ベニンク『Parken』(2009年)

●中村としまる
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)


アグリゲイト・プライム『Dream Deferred』

2017-06-03 11:00:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

アグリゲイト・プライム『Dream Deferred』(ONRX、2015年)を聴く。

Aggregate Prime:
Kenny Davis (b)
Mark Whitfield (g)
Ralph Peterson (ds)
Vijay Iyer (p)
Gary Thomas (ts, fl)

サプライズもあるなかなかのメンバーで、吹き込み当時、かなり驚かされて楽しみにもしていた。特にゲイリー・トーマスの名前が懐かしい。その後忘れていたところ、JOEさんが教えてくれて、わたしも慌てて入手した(>> JOEさんのブログ)。

今朝2回ほど繰り返して聴いてみたわけだが、感想は、まあ似たようなものである。そりゃあ、ゲイリー・トーマスが昔と変わらず朴念仁のようなテナーを吹いてくれるのは嬉しいことだ。ラルフ・ピーターソンのすべてを無意味になぎ倒しそうな人間扇風機・トマソンぶりも好きである。過剰に期待しなければ良いジャズである。

しかし、名前の組み合わせ以上には、演奏のサプライズはない。確かにヴィジェイ・アイヤーの存在意義は何なのかとツッコミたくもなる。昔の名前でジャズをやっています、に、つきあってしまった感あり。

ところで、ラルフ・ピーターソン『Triangular III』はとても良い作品だった。聴くならそっち。

●ラルフ・ピーターソン
ラルフ・ピーターソン『Triangular III』(2015年)
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)
ベキ・ムセレク『Beauty of Sunrise』(1995年)

●ゲイリー・トーマス
スティーヴ・リーマン『Sélébéyone』(ゲイリー・トーマス『The Kold Kage』、1991年)
ゲイリー・トーマス『While the Gate is Open』(1990年)

●ヴィジェイ・アイヤー
ヴィジェイ・アイヤー+プラシャント・バルガヴァ『Radhe Radhe - Rites of Holi』(2014年)
ヴィジェイ・アイヤーのソロとトリオ(2010、2012年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
フィールドワーク『Door』(2007年)

ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(2003年)


ハン・ベニンク『Parken』

2017-06-03 08:48:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

ハン・ベニンク『Parken』(ILK Music、-2009年)を聴く。

Han Bennink (ds)
Simon Toldam (p)
Joachim Badenhorst (cl, bcl)
Qarin Wikstrom (vo) (M-9)

マイペース感ただようヨアヒム・バーデンホルストのクラとバスクラも良いのだが、やはりこのトリオの主役はハン・ベニンクと決まっている。突然気が向いたら叩くという行動を存在にまで昇華した人がハン。

(むかし渋谷毅、井野信義、ハン・ベニンクというピアノトリオを観たとき、井野さんの出す合図には頓着せず、急に豹変して叩き始めたりやめたりしてみんな苦笑していたことを思い出す。)

「Lady Of The Lavender Mist」、「Isfahan」、「Fleurette Africaine」というエリントン物をオリジナルと交互に演奏しており、妙になごんでしまう。

●ハン・ベニンク
ハン・ベニンク@ディスクユニオン Jazz Tokyo(2014年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(2006年)
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(2002年)
エリック・ドルフィーの映像『Last Date』(1991年)
ICPオーケストラ『Bospaadje Konijnehol』の2枚(1986-91年)
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』(1981年)
レオ・キュイパーズ『Corners』(1981年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)
ウェス・モンゴメリーの1965年の映像(1965年)

●ヨアヒム・バーデンホルスト
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』(2015年)
パスカル・ニゲンケンペル『Talking Trash』(2014年)


『Trio Riot』

2017-06-02 00:29:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Trio Riot』(Efpi Records、2012年)を聴く。

Mette Rasmussen (as)
Sam Andreae (ts)
David Meier (ds)

メテ・ラスムセン参加作ということで入手したのだが、正直言ってあまり面白くはない。

先日メテさんが来日して、スーパーデラックスで坂田明さんと共演したときにも、似たような印象を抱いた。他のサックスと張り合ってはメテさんの凄みがいまひとつ発揮されないということか、それとも、本盤がメテ・ラスムセンになる前のメテさんということか。

●メテ・ラスムセン
Kiyasu Orchestra Concert@阿佐ヶ谷天(2017年)
メテ・ラスムセン@妙善寺(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy(JazzTokyo)(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy、スーパーデラックス(2017年)
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)
シルヴァ+ラスムセン+ソルベルグ『Free Electric Band』(2014年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(JazzTokyo)(2013年)


ジェームス・ブランドン・ルイス『No Filter』(JazzTokyo)

2017-06-01 23:26:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェームス・ブランドン・ルイス『No Filter』(BNS、-2017年)のレビューを、JazzTokyo誌に寄稿しました。

>> #1417 『James Brandon Lewis Trio / No Filter』

JBL Trio:
James Brandon Lewis (ts)
Luke Stewart (b)
Warren Trae Crudup III (ds)

Special Guest:
P.SO the Earth Tone King (MC) (M-3)
Nicholas Ryan Gant (vo) (M-6)
Anthony Pirog (g) (M-3 and 6)


ブランドン・シーブルック『Die Trommel Fatale』(JazzTokyo)

2017-06-01 23:21:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブランドン・シーブルック『Die Trommel Fatale』(New Atlantis Records、-2017年)のレビューを、JazzTokyo誌に寄稿しました。

>> #1413『Brandon Seabrook / Die Trommel Fatale』

Brandon Seabrook (g)
Chuck Bettis (throat/electronics)
Dave Treut (ds)
Sam Ospovat (ds)
Markia Hughes (cello)
Eivind Opsvik (b)

●ブランドン・シーブルック
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas V』(JazzTokyo)(2016年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
アンドリュー・ドルーリー+ラブロック+クラウス+シーブルック@Arts for Art(2015年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
トマ・フジワラ『Variable Bets』(2014年)
アンドリュー・ドルーリー『Content Provider』(2014年)
ブランドン・シーブルック『Sylphid Vitalizers』(2013年)


メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy(JazzTokyo)

2017-06-01 23:15:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

JazzTokyo誌に、稲毛Candyにおけるメテ・ラスムセンとクリス・コルサーノのデュオ・ライヴのレビューを寄稿しました。

>> #953 Mette Rasmussen and Chris Corsano

Mette Rasmussen (as)
Chris Corsano (ds)

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●メテ・ラスムセン
Kiyasu Orchestra Concert@阿佐ヶ谷天(2017年)
メテ・ラスムセン@妙善寺(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy、スーパーデラックス(2017年)
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)
シルヴァ+ラスムセン+ソルベルグ『Free Electric Band』(2014年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(JazzTokyo)
(2013年)

●クリス・コルサーノ
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy、スーパーデラックス(2017年)
クリス・コルサーノ、石橋英子+ダーリン・グレイ@Lady Jane(2015年)
コルサーノ+クルボアジェ+ウーリー『Salt Talk』(2015年)
アイスピック『Amaranth』(2014年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(2014年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ネイト・ウーリー+ウーゴ・アントゥネス+ジョルジュ・ケイジョ+マリオ・コスタ+クリス・コルサーノ『Purple Patio』(2012年)
ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』(2012年)