岩波ホールで、坂田雅子『花はどこへ行った ベトナム戦争のことを知っていますか』(2007年)が公開されている。夫を癌で亡くされた坂田雅子さんが、ベトナムで60年代に散布された枯葉剤「エージェント・オレンジ」のこと、それによる被害、いまのベトナムについて追いかけた記録である。その夫は、若い頃、米兵として有害とは知らずに枯葉剤を浴びている。
ベトナム戦争が終結したのは随分前のこと、枯葉剤も過去のこと、といった意識せぬ思い込みが大いなる間違いであることが、現在のベトナムの映像によって否応なく突きつけられる。奇形児や障害を抱えた人々は経済的に困窮していて、誰もそれに責任を取ることはない。米軍はもちろん、ここでは言及されていないが、ベトナムに向けて発進した飛行機の基地を提供した日本も、である。最近、米軍のジャングル訓練センター(沖縄)においても枯葉剤を使っていたことがわかっている。飛行機の基地や枯葉剤を準備する場を置くのを許す「私たち」は、枯葉剤の被害にも加担していることになる。
撮られる対象としての奇形児の映像が与える印象は置いておくとしても、単純な事実を覚えておきたい。
○枯葉剤の散布は10年にわたり、7,200万リットルが南ベトナムの面積の12%に撒かれた。そのうち4,500リットルがエージェント・オレンジ。これにダイオキシンが含まれていた。
○1963-70年に、400万人近いベトナム人が枯葉剤を浴びた。さらに、それと知らず曝露した米兵も多い。
○ダイオキシンは生物や土壌のなかに長期にわたり残留する。
○ロンタンでは、人口23万人のうち1,000人が枯葉剤の後遺症に苦しんでいる。
○カム・ニア村では、人口5,623人のうち、0歳から18歳の障害児の数が158人。80年代(戦争終結よりずっと後)から生まれた子どもに異常が増えた。
○母親でなく祖父母が枯葉剤を浴びた結果の障害児、つまり第3世代がいる。出産前の異常の発見と中絶が進められている。
映画に登場する、障害児の親や兄弟姉妹は、家族として隔てなく接している。その奥にあるに違いない苦しみをおもえば、なお印象的である。
「ベトナムで出会った人たちは、想像を超える障害や奇形をもちながらも、静かに運命を受け入れ、充実した人生を送っている様にも見えた。
彼らが求めているのは、復讐ではない。具体的で実際的なほんの少しの救いの手なのだ。」
(映画ナレーションより)
冒頭から全共闘世代の涙腺を揺さぶるような仕上がりですが、同時に亡きパートナーへのオマージュが、シンプルなプライベートムービー風にきれいにまとめられていて、気負っていないところが好感をもてました。
7月からの高江ヘリパッド建設事業再開に抗するためにも(もちろんそれだけのためではありませんが)、沖縄での上映が望まれます。
映画の作り手が感傷的になるのは仕方ないと思いますし、この映画の場合、そうであるべきとも思うのですが、それが抑制された語り口となっていて良いと思いました。伝える、見せるための媒体として優れたものですね。