Sightsong

自縄自縛日記

森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』

2011-07-29 06:54:45 | 沖縄

駒込の琉球センター・どぅたっちで、ジャーナリストの森口豁さんが「NNNドキュメント」枠で撮ったドキュメンタリーを2本観た(2011/7/28)。

■『毒ガスは去ったが』(1971年)

山中の米軍嘉手納弾薬庫地区にある知花弾薬庫では、1969年、毒ガス兵器が漏れる事故があった。密かに持ち込まれていたものだった。このドキュメンタリーは、1971年、それらをハワイ近海のジョンストン島(現在は無人島)に移す様子を記録している。延べ56日間、移送回数136回、トレーラー1319台を使う大規模なものであった。移送ルート近くの住民は、毒ガスの恐怖に怯え、避難生活を強いられた。

森口さんは次のように語った。ドキュを撮った40年前の前年はコザ暴動、翌年は沖縄復帰があった。そしてその年、「見えない恐怖」が襲った。毒ガスと原発は似ている。これからだってどうなるか判らない。もっと恐ろしい現実が襲いかかるかもしれない、と。私にとって米軍の毒ガス持ち込みは単なる知識に過ぎないものだったが、このように「ねっちり」と撮られたことにより、住民の恐怖をわずかながら体感することとなった。優れたドキュの力である。

現地リポーターを務めた寺田農から、最近、森口さんの写真集についての感想を毛筆でしたためた分厚い手紙が届いたという。その中には、「沖縄と向き合ったあの日から、ずっと沖縄を忘れることなく関心を持っていますよ」と書いてあった。まさに40年前の今年は現在の今年である。森口さん曰く、「自分の命は自分でしか守れない」ものであり、「確たる見通しももてないまま逃げまくった」姿は、今のわれわれの姿と重なるものだ、と。

ドキュでは、ドルの変動相場制移行に伴う経済的な犠牲も映し出している。「日本復帰がもう1年早ければもっと犠牲は少なかったはず」というそれは、やはり、日本政府の沖縄軽視を反映したものだった。ドル価値はみるみるうちに目減りし、本土からの「移入」に頼る生活必需品の価格は高騰した。1971年11月、沖縄中の金融機関をすべて閉鎖し、手持ちドルの登録を行うことによって、損失補償の策が打たれた。しかし、その対価は360円より遥かに安い308円程度であった。

ところで、国頭村安田の祭り「シヌグ」も登場する。貴重な映像である。

■『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)

彫刻家・金城実、41歳(!)。「ほとんど独演会、しばし金城節に酔ってほしい」との森口さんの弁のあとに上映された。彫刻作品「戦争と人間」とともに全国をキャラバンのようにまわる姿を記録している。そしてやはり、ヤマトゥに対する思い、平和や戦争に対する思いが吹きまくる。

番組の放送がどういうわけか2週間ずれこむ間、タイトルの「在日沖縄人」に関して、7-8回は抗議の電話があった。沖縄人を日本人とみていないのか、これまでの同化の努力を台無しにするものだ、というわけである。森口さんも、番組制作の「タブー」ではあったが、事前に金城さんに相談している。しかし、金城さんは関西弁で「おもろいがな!」と、あっけらかんとしたものだったという。 

この「同化」に関して、森口さんが興味深い事例を紹介している。大阪大正区の関西沖縄文庫では、以前、森口さんを招聘し、「復帰35年、ドウカしちゃった私たち」というタイトルのイベントを行っている。ドウカしちゃった=どうかしちゃった=同化しちゃった、という問題提起である。


大木さんと森口さん
 

会場には大木晴子さんも体調が悪いなか駆けつけた。金城実の写真集を構想しているということで、これは期待せざるをえない。

上映後は森口さんを囲んだ飲み食いの場。故・金城哲夫のこと、じーまみ豆腐のことなど興味深い話ばかりだった。

●参照 森口豁
森口豁『アメリカ世の記憶』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
森口カフェ 沖縄の十八歳
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
『子乞い』 鳩間島の凄絶な記録

●参照 金城実
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
金城実『沖縄を彫る』
『ゆんたんざ沖縄』

●NNNドキュメント
岩国基地のドキュメンタリー『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


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2 コメント

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Unknown (24wacky)
2011-07-29 10:48:08
「寺田農から、最近、森口さんの写真集についての感想を毛筆でしたためた分厚い手紙が届いた」とのエピソード、興味深いですね。

実際この作品での寺田は、ヤマトーンチューであり、いかにも役者という風貌の役者であり、つまりそれだけでじゅうぶん「異人」なのですが、それに負けず劣らず「風景」が「異」であることによって、得体の知れない緊張感を与えるドキュメントになっている、という印象を受けました。

ところで、大木さんの背後に某アニメーション作家の顔が(笑)
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Unknown (Sightsong)
2011-07-30 03:17:14
24wackyさん
私はさらに、レートがいくらだと食いさがる若者が寺田農だとは思いませんでした。実際「異人」であり、「異」と「異」とがもたらす緊張感とのご指摘にはまったく同感です。
> 某アニメーション作家の
果てしなく鋭いですね。上映後、OAMについても言及していました。
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