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自縄自縛日記

ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』

2014-07-18 07:37:46 | 環境・自然

ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』(花伝社、原著2013年)を読む。

『Nuclear War and Environmental Catastrophe』の邦訳であり、こうして日本語で再読すると、またさまざまな発見がある。良書であり、ぜひご一読されたい。

もっとも強く印象付けられる点は、アメリカの政策を駆動してきたのは、イデオロギーや宗教だけではないということだ。化石燃料、医薬品、軍事といった分野の強力な諸企業のオカネと意向によって、政策は偏った歪なものとなっている。それを新自由主義と呼ぶべきかどうか明確でないが、チョムスキーによって示されているのは、少なくとも、「民間がオカネのみによってほんらい公共であるべき分野まで荒らしてしまう」という意味での市場主義ですらない。

ここで提示されている環境問題のなかには、中東での劣化ウラン弾使用、ベトナム戦争時の枯葉剤使用、ミクロネシアでの水爆実験など、過去から現在にかけてアメリカが行ってきた戦争犯罪がある。チョムスキーは、これらを、結果を認識したうえでの(あるいは結果がどうなろうと構わないという前提での)意図的なものであったと説く。相手は、自分自身と同列の存在ではないのである。このことは、民間の犠牲者がどれだけ出ようとも「コラテラル・ダメージ」として位置付けるあり方につながっている。

気候変動問題については、諸企業によるバックアップのもとで、共和党の議員たちがとんでもない懐疑派になってしまっている現状を示している。この、科学からはかけはなれた気候変動懐疑論は、アメリカにおいては右派によって扇動されているが、一方、日本においては、逆に、リベラルとみなされることの多い層によって口にされることが多い(本書でもそのことを指摘してほしかった)。前者は利権の保護。後者は、これまで気候変動対策が原子力とセットとして進められてきたことへの反発や、くだらぬ陰謀論が幅をきかせていることと無縁ではない。そういった一部の論客たちは、チョムスキーが本書や、2013年の上智大学での講演において明確に述べ、また、エイミー・グッドマンらも気候変動対策を訴えてきた(本書の補遺に収録)にも関わらず、チョムスキーやグッドマンの一部の主張についてのみ奉るように引用し、気候変動懐疑論(くだらぬ陰謀論)を否定されてしまう箇所については触れないのである。奇妙なことだ。 

●参照(本書での引用を含む)
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』
シンポジウム「グローバル時代にデモクラシーを再生できるか?」
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』
ジェームズ・ラブロック『A Rough Ride to the Future』


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