Sightsong

自縄自縛日記

吉田隆一ソロ@喫茶茶会記

2019-10-22 23:39:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

四谷三丁目の喫茶茶会記(2019/10/22)。

Ryuichi Yoshida 吉田隆一 (bs, bells)

小さなグロッケンを叩くことから始め、その旋律を直接的に引用するでもなくバリトンサックスに移行した。

はじめは比較的なめらかに高低をつないでいく旋律であり、やがて低音をびりびりと響かせるようにシフトしていった。そして実に様々なマルチフォニック。低音の中から高音があらわれる。高音が分かれていきそれぞれの太さも異なる。息の音と共鳴音。音色も一様ではない。太い低音を吹いていて突然マウスピースを引き離すようにして音を断ち切る。ベンド。右手を敢えて上に持ってきたのはオクターブキーを微妙に操作するためだったのだろうか。吹きはじめの慣性や前の音からのつながりによっても鳴り方が異なる。

40分ほどの飽きることのないバリサク・ソロが終わり、ふたたび、町中華のあとにコーヒーで油流しをするようにグロッケンを響かせた。

以前に吉田さんは、単音をさまざまに提示する方法を追求すると言っていたが、それとはまた異なるアプローチだろうか。それともその発展形でもあっただろうか。脳の反応する領域が遷移していくような、面白いサウンドだった。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8

●吉田隆一
渋大祭@川崎市東扇島東公園(2019年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2019年)
吉田隆一ソロ@なってるハウス(2019年)
吉田隆一ソロ@T-BONE(2018年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
MoGoToYoYo@新宿ピットイン(2017年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年)
吉田隆一+石田幹雄『霞』(2009年)


ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』

2019-10-22 10:32:35 | 思想・文学

ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』(新潮社、原著1984年)を読む。

第1巻では近代において性という欲望装置が内部化されることを説いた。この第2巻は、時代を遡り、古代ギリシャ・ローマ時代における性のあり方を扱っている。

あるときは開けっ広げでもある。コード化もされている。そして内部化は、近代における権力構造とは異なる形でなされていた。それは必ずしも性差や婚姻の有無と紐づけられてはいない。そうではなく、求められるものはアリストテレスの言いまわしによると「何をするか、いかにそうすべきか、いつそうすべきか」という決定や分別であり、養生であり、熟慮と慎重さであった。

すなわち権力は自己に行使されるものであり、その権力行使の物語を外部化していなければならなかったということである。

●ミシェル・フーコー
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』(1979年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『言説の領界』(1971年)
ミシェル・フーコー『マネの絵画』(1971年講演)

ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(1970年代)
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
重田園江『ミシェル・フーコー』
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』
二コラ・フィリベール『かつて、ノルマンディーで』
ハミッド・ダバシ『ポスト・オリエンタリズム』
フランソワ・キュセ『How the World Swung to the Right』


草野心平『宮沢賢治覚書』

2019-10-22 09:33:30 | 思想・文学

草野心平『宮沢賢治覚書』(講談社文芸文庫、原著1981年)を読む。

草野は、宮沢賢治を天然の思想家であったと言う。すべてが天然から発しており、それゆえに借り物でない力を持って読む者の心をとらえる。吉本隆明が宮沢について「「中学生」がよくかんがえる程度の空想が、あまりに真剣に卓越した詩人によって考えられている」と書いたのと同じである。

「思想とは、賢治の場合、イメエジの如きものであった。そのように思想とは、彼の場合は独立した外部精神体などではなくて、彼の内部に生活していた。もっと密接で肉体的な細胞体、言わば原始的な存在だったのである。」

おそらく科学も音楽もかれの内部を通過して出てきたものだ。そして妹を失った悲しみの中で、北へと旅をしながら書いた『春と修羅』のひとつ「青森挽歌」には、次のようにある。草野は「そのリアルさがいいのである」と、割とさらっと書いているけれど、いやもっと切実なものがある。何度も眼で追っていくと怖くなってくる。

あいつがいなくなってからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます

●宮沢賢治
『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』
『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』
『宮沢賢治コレクション3 よだかの星』
横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感