入谷のなってるハウス(2019/5/12)。ここでのバリトンサックスソロは年に1回、これで5回目だそうである。
Ryuichi Yoshida 吉田隆一 (bs, b-fl, glsp, 笛)
ライヴ直前に氏のバリトンサックスが壊れて、代替楽器を持って登場するという事故があった。しかしその代替のバリサクは良いものだったようで、鳴りにうっとりさせられるときがあった(もちろん、もとの楽器でどうだったのかはわからない)。
昨年の9月のソロ(吉田隆一ソロ@T-BONE、2018/9/23)はとても面白いものだった。その後、録音した大阪のSさんからは録音場所を変えた3パターンを頂戴して、聴き比べると管楽器が点ではないことが実感できてさらに面白かった。今回はその延長になるのかと思っていたら、氏の方針はさらに先にあって驚いた。
ファーストセットは、仏具(どこかの屋台で購入したらしい)の鐘が最初と最後の合図となった。はじめは低音を含めてなめらかなフレーズで鳴らしていった。やがてさまざまな展開があった。バリサクのフレーズとハモらせて小さいグロッケンシュピールを鳴らし、それによりバリサクの膨らみが強調された。重音、和音はスピードやなめらかさを変え、フラジオの高音を中心にして低音や声が重なり、また低音を中心にして高音が重なったりもした。息が多めになり、そのシャーという音とともに高音や低音が幅広く変化し、ときにヨーデルのように聴こえた。なにも高音か低音を中心に据えるだけではなく、中音域からその両側やノイズが聴こえてゆく時間もあった。
セカンドセットは、バスフルートのソロのあと、口笛、グロッケン、小さな笛とさまざまに持ち替え、そのことがバリサクの音の特異性を際立たせることになった。最初はバリサクが実にバランスよく鳴り気持ちが良い(楽器が変わったことによる「耽溺」もあったのだろうか)。立って低音を過剰にびりびりと震わせると、他の箇所も共振した。
ここからはバランスのよい鳴りから逸脱する展開となった。もとより長い管ゆえさまざまなノイズや音が参入してくる。これに、息による撥音やキーを叩く音により機関車のごとき音となる(ウラジーミル・タラソフのサウンドを思い出したりして)。管全体の響かせ方を変えて、息量が多いことによりトンネルの中のように響く。息、共鳴、個々の音成分が重なって聴こえる。このような変化のあとに朗々となるバリサクは、それがバリサクであることの存在証明であるようだ。
そして鳴り自体が柔軟に変えられてきた。撥音的なノイズは、唇、舌によるリードのタッチ、喉の鳴らしなど。大きめのヴィブラートだと物語性が増す不思議があるが、これにベンドにより周波数が連続的に変えられるとさらに物語を諄々と話すような按配となってくる。周波数の変化はベンドだけでなく、口の中の形やマウスピースの位置によっても起こされる(あとで吉田さんに訊くと、息の量やキーの押さえ方などさまざまな組み合わせがあるのだとのこと)。さらにまた、グロッケンという外部成分によるバリサクの音喚起。
すなわち、音響的なファーストセット、音そのものの多様性が提示されたセカンドセットということになった。
ところが、吉田さんは今後のソロ演奏の方針を次のように話した。ジャズのアドリブのようにフレーズ的なものでも、インプロでの音響的なものでもなく、単音で成り立つようなアプローチを追求する、と。削ぐものを削いでいって、単音を吹いているだけなのにポリトーナルなサウンドとなるようなものを目指す、と(「ほら、ギターのアルペジオだってそうでしょう」)。イメージは「ひとりアート・アンサンブル・オブ・シカゴ」だということで、これは賑々しい祝祭的AEOCではなく、妙な単音をただ複数名で吹いていて妙に聴こえるAEOCのことを指しているのだろう(すなわちMoGoToYoYoとは関連づけられない)。あるいは作りこみ過ぎない即興的作曲。
たぶんこれもわたしはちゃんと理解していない。どうやら、実際にこれからの音を聴いてみないと腑に落ちないようである。要注目。
Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4
●吉田隆一
吉田隆一ソロ@T-BONE(2018年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
MoGoToYoYo@新宿ピットイン(2017年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年)
吉田隆一+石田幹雄『霞』(2009年)