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自縄自縛日記

桜井哲夫『フーコー 知と権力』

2010-07-21 00:28:51 | 思想・文学

桜井哲夫『フーコー 知と権力』(講談社、1996年)を読む。

ミシェル・フーコーの思想を「できるだけ、普通のことばで」語ろうとする評伝であり、本書に限らないのだろうが、フーコーの洪水のような過剰なテキストの中から水脈を見つけていく愉しみはここにはない。また、評伝としても、無数のつぶやきの中を浮遊しながらフーコー世界を感じとろうとすることができる、ジル・ドゥルーズ『フーコー』のように、読む者の脳を震わせてくれるものでもない。

しかし、一貫して権力構造について思索し、発信し続けたフーコーの著作を順に追うことができ、次に挑む書を考えることができることは嬉しい。世のフーコー・マニアなどを横目に見つつ、フーコー自身がしていたように、個別論を跨ぎ、大きなまなざしを自由に持ってよいのだというメッセージには共感できる。

いくつか記憶に留めておきたいこと。

○フーコーは、ルイ・アルチュセールの権力論(すべての組織や機関が国家イデオロギーに奉仕する)に影響を受けている筈。
○中世に多く存在したハンセン病のための病院が、15世紀になって、性病の患者を受け入れるようになっていく。これは治療の対象となり、ハンセン病の後継の位置を占めるものが「狂気」と位置付けられていく。(『狂気の歴史』)
○フーコーの仕事の本質は、人々の「まなざし」や内面の「概念」の形成を追ったことにある。それは、無数に存在する発言行為のアーカイヴから見出されていく。
○フーコーは権力の源を「下位にいる個人」に見出していた。イラン革命やポーランドの「連帯」の動きに共感したのも、権力に対する人の服従や闘争の有りようといった面で可能性を見出したからではないか。

●参照
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』


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