鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

歌川広重の歩いた甲斐道 その7

2009-11-24 06:20:52 | Weblog
川崎市立日本民家園で購入した「日本民家園収蔵品目録6」、『旧広瀬家住宅 附山梨県甲州市塩山広瀬家民俗調査報告』の中に、「年中行事」の項目として「道祖神祭り」に関する記述がありました。これは広瀬保さん(明治38年〔1905年〕生まれ)および頼正さん(保さんの長男)から聞き取り調査をしたものをまとめたもの。この記述によると、上萩原における道祖神祭りは一時途絶えていたものの、近年、祭りのうち「ドンドヤキ」が復活したという。かつて道祖神の小屋(オコヤ)は1月11日に作っていたらしい。2006年は広瀬家が「オベットウヤ」の当番であったとのこと。道祖神祭りは「ドウソジンバ」(道祖神場)を中心にして行われ、ここにヒノキとスギで「オコヤを作り、竹竿に「オコンブクロ」(お金袋)と、紙を切り刻んだ飾り(御幣)を下げました。「オコンブクロ」を下げるのは、お金が貯まるようにとの願いから。御幣は、御神体として「オコヤ」の中に納めるもので、「オベットウヤ」の若い当主は、これを持ってお祓いをします。「オベットウヤ」の当番に当たった家の若い当主が、「ドウソジンサン」の前でお祓いをした後、各家をお祓いして廻り、その後ろを子どもたちが「カゴウマ」(籠馬)を持ちながら廻りました。その後、「オベットウヤ」の家で宴会が開かれたらしい。1月13日には、米の粉で「マユダンゴ」を作りました。マユのほか、豊作を祈ってカボチャ、ナス、キュウリなどの農作物、俵を三つ重ねたもの、札束などを作り、「オカイコがたくさん採れるように」「オダイジンになれるように」と願ったのだという。1月14日の夕方には「ドンドヤキ」を行う。この日に「オコヤ」を焼き、その火で各自が持ち寄った「マユダンゴ」を焼いて食べたそうだ。この「ドンドヤキ」のみ、近年復活したとのことですが、「マユダンゴ」の飾りは現在ではやってはいないそうです。1月20日に道祖神の「オヤマ」(オコンブクロ)を「「コロバス」。「オヤマ」をコロバシた後、「オコンブクロ」をくじ引きで分けたという。これで一連の道祖神祭りが終了したのでしょう。ちなみに「カガミヒラキ」も「オタウエ」も1月11日に行ったとのこと。この1月11日は、道祖神の「オコヤ」(お小屋)を作った日でもありました。「オコヤ」を作ったところは道祖神(上萩原の場合「丸石」)のある広場、つまり「道祖神場」であったでしょう。 . . . 本文を読む