鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

歌川広重の歩いた甲斐道 その7

2009-11-24 06:20:52 | Weblog
 広重の『天保十二丑とし卯月、日々の記』は、4月23日、「辻屋小鐘馗認め。」で終わっています。「辻屋仁助から依頼された小鐘馗の絵を描いた」ということですが、この「辻屋仁助」とは、緑町一丁目の「幕絵世話人衆中」の一人で、古着・呉服を商っていた商人。幕末期に長州戦争が勃発した時には幕府に7両を献金しているという。

 この4月23日より後に、広重は甲府城下を出立して「御嶽道」を歩いたようです。4月下旬か5月上旬というところでしょうか。

 「御嶽道」とは、山梨県と長野県の県境にある山岳信仰の霊山の一つ、金峰山(甲斐御嶽山)に至る道の総称だとのこと。

 四方から10本以上のルートがあるそうですが、広重はそのルートのうち、甲府の北西の吉沢(きっさわ)を経て、里宮である金櫻(かなざくら)神社に向かう「外道」(「下道」とも)を歩いているという。この吉沢ルートは、昇仙峡として知られる御嶽新道が幕末に開通するまで主要な登拝ルートであった、とのこと。

 広重は、その吉沢ルート(外道)の往路の風景を描いています。

 ちなみに、この金峰山を、かつて私は一人で登ったことがあります。ずいぶん前のことになりますが、頂上のところに「五丈岩」という巨岩があり、今まで私が登った山の中でも強く記憶に残っている山で、またいつか登ってみたいと思っている山の一つです。

 金櫻神社という里宮には、まだ足を運んだことはありません。

 つまり私はまだ「御嶽道」を歩いたことはありません。

 この「御嶽道」の写生旅行のことが載っているのは『旅中 心おほえ』。

 写生旅行は、金櫻神社の参詣道である「御嶽道」で始まり、「身延道中」、そして「甲州道中」と続いています。

 井澤英理子さんの「『甲州日記』の研究史と原形について」という論文によれば、この『心おほえ』のスケッチは、後に清書されたものではなく、対象を目の前にして写した(描いた)もの。
 
 広重が、冊子の形で持ち歩いていたスケッチ帳に、実際の風景を目の前にして描いたもので、したがって描かれた順番が広重の歩いた時間軸のとおりと考えるのが妥当であると井澤さんはいう。

 つまり、広重はまず「御嶽道」を歩き、それから「身延道」を歩き、そして江戸に帰るために「甲州街道」を歩いたことになります。

 「御嶽道」や「身延道」は、写生の旅であって、ゆったりとした時間の中でじっくりと興味をもった対象を描いているようですが、「甲州街道」では江戸へ急ぐ道中であるということもあってラフに描いているようです。

 『心おほえ』の最後にある10日間の日記は、この年11月に甲府から江戸へ向かう時のもの。翌年の小正月(道祖神祭礼)のための一連の幕絵(11枚)をようやく仕上げて、江戸へ帰る時の日記。

 新津健さんの「甲斐の道中案内と広重ルートの検証」という論文によれば、「御嶽道」のルートとしては11のルートが数えられるようです。

 そのうち杣口(そまくち)・西保・万力は東口コースで、現在の甲州市や山梨市の北側集落から入っていきます。塚原・吉沢・亀沢は南口コースで甲府市の北側ないし北西の集落から入っていきます。

 新津さんは、「甲斐金峰山信仰としては、富士山信仰の広がりと関連して、江戸方面からの参詣者の増加の中で隆盛を迎えてきた感も強い」とされています。

 とすると、広重が江戸から甲州街道を通って甲府へと向かった時、笹子峠で出会った「江戸講中」の一団(彼らは勝沼宿から「横道」に入りました)や、また石和宿入口の茶屋で出会った「江戸講中」の一団は、前に私は、御坂峠を越えて富士参拝に向かう一団(もしかしたら河口村の御師に率いられた集団)としましたが、別の可能性として金峰山あるいはその里宮である金櫻神社に向かう「御嶽信仰」(甲斐金峰山信仰)の「江戸講中」であったかも知れない。

 広重は、その道中、「身延詣で」の人々とも出会っています。彼らの行く先である「身延」(日蓮宗の本山がある)や「御嶽」(金櫻神社・金峰山)に、その道連れの中での会話からいたく興味・関心を抱いたのかも知れない。

 だから「御嶽道」を歩き、また「身延道」を歩いたという推測も成り立つのです。

 広重は旅の道中において、いろいろな人と会話を楽しんでいますが、それはまた写生先(写生の対象となりうる景色・景観)を旅人や地元の人から聞き出すためのものであったのかも知れません。


 続く


○参考文献
・『日本民家園収蔵品目録6 旧広瀬家住宅 附 山梨県甲州市塩山広瀬家民俗調査報告』(川崎市立日本民家園)
・『歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭 調査研究報告書』(山梨県立博物館)
蛇と瀬


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