鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

歌川広重の歩いた甲斐道 その6

2009-11-23 06:51:36 | Weblog
取材のために道を歩いていると、いたるところで道祖神に出あいます。特に道祖神の豊かさを感じたのは山梨県でした。日本民家園(川崎市)の旧広瀬家住宅がもともとあったところである甲州市塩山上萩原を訪れた時、そこにあった道祖神がまず印象的なものでした。石段の上に「丸石」が乗っており、その他の石造信仰物もその近くに集まっていました。そうとうに古そうなもので、そのちょっと独特な空間の雰囲気は脳裡に刻まれました。それからいろいろな道祖神を見かけましたが、初めて訪れた山梨県立博物館にも「丸石」道祖神があり、かつて上萩原で見た道祖神を思い出しました。御坂峠を越えて河口の集落に入った時、通り沿いにいくつか見かけた道祖神は石段ないし石垣の上に置かれた、屋根をもつ石製の祠の中に置かれた道祖神でした。石鳥居や木製の玉垣まである立派なものでした。この道祖神の一つは、『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』の例の古写真(臼井秀三郎撮影・P15下)の中央やや右側(通りの右側)にしっかりと写っています。この道祖神のところを右手に折れると善応寺というお寺の参道に入ります。右端の板葺きの屋根の向こうに見える樹木は、河口浅間神社の杉の巨木の杜であるでしょう。しかし甲府市内を歩いた時には、ほんの一部でしかないけれども、「丸石」道祖神も石垣のある「石祠」道祖神も見かけることはありませんでした。ところがかつて(幕末)は通り両側に幕絵を張り出すなど盛大な「道祖神祭」が繰り広げられた城下町であったのです。では、甲府にはどういう道祖神信仰があったのか。それに関する記述があったのは、『山梨県の道祖神』中沢厚(有峰書店)という本でした。これは山梨県内の「豊かな」道祖神について、各地をくまなく足で歩いた調査の蓄積の上に成り立った著書で、よくまとめられた労作でした。 . . . 本文を読む