鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2009.11月取材旅行「御坂峠~河口~剣丸尾」 その3

2009-11-06 06:45:02 | Weblog
古い峠道はあじわいがあり魅力があるということを、この御坂峠を越えたときも感じました。この取材旅行を始めてから歩いて越えた峠道は箱根峠とこの御坂峠。車で越えた峠は天城峠、碓氷峠などですが、それぞれ印象深いものでしたが、歩いて旧道を探しながら越えてみると、その味わいはさらに増します。御坂峠を歩きながら、「なぜ峠道は魅力があるのだろう」などといったことを考えました。私にとって峠道が魅力的なのは、一つは峠道の道自体の魅力。長年の間、草鞋(わらじ・人も馬も)で踏み続けられ、また近辺の村の人々によって整備され続けてきて出来た形状の名残りというものがある。幅は人馬がすれ違える幅ということで1mから2m前後。道の断面はつぶれたU字形になっている場合が多い。路面は石畳になっていたりして、その上に、今の時期であれば落ち葉が降り積もり、またその下には枯れ葉が腐って土になった腐植土が薄く積もっていたりします。この枯れ葉の積もった平たいU字状の道は、私に「まろやかさ」という言葉を思いつかせました。歴史の年輪を感じさせる「まろやかさ」というものが峠道にはある、ということです。二つ目は、そこを歩いた人々の思いというものを感じさせるということ。鉄道や自動車道が普及するまでは、何千年もの長い間、人々はこの峠道をあえぎあえぎ登り、そして下って行ったのです。歴史的に有名な人もいますが、それはごくごく一部であって、大多数は「歴史」的には無名の人々。そういった人々が、生業(なりわい)のためか、旅のためか、信仰のためか、あるいはよんどころのない事情のためか、さまざまな思いを抱いて、峠道を歩いていきました。近所の道とは違って、峠を越えて見知らぬ他郷に赴くということはそれなりの覚悟が必要だったはずです。自分の人生行路を振り返りながら、峠道を越えていった人々の思いに触れつつ歩いていくことができる「楽しみ」がある。三つ目は、九十九折(つづらおり)の厳しい山道を登りきって峠の頂きに出た時の感動というものがある。峠の頂きやその途中で、自分が歩いてきた道や自分が見知っている景色を振り返るとともに、これから歩くであろう下り道や見知らぬ土地に思いをはせるという瞬間がある。後ろ髪を引かれつつ、さまざまな思いを味わいつつ、汗を流し息を切らせながら、景観が広がったところにたどり着いた時の感動というものがあるのです。 . . . 本文を読む