鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「風船爆弾」について その4

2008-01-23 06:05:45 | Weblog
ネットのフリー百科事典『Wikipedia』で「風船爆弾」を調べてみたところ、風船爆弾は満州事変後の昭和8年(1933年)頃から関東軍、陸軍によって研究されたという記述とともに、東京有楽町の日本劇場(「日劇」)での製作のようすが触れられている記述が目を引きました。日劇では、気球を天井から吊り下げて「満球テスト」(水素ガスを注入して漏洩を検査する)が行われていたというのです。この「満球テスト」を行うためには天井が高い建物が必要だったのです。ということは、他の劇場や学校の講堂や体育館においても、気球の製作ばかりでなく、気球を天井から吊り下げて水素ガスを注入して漏洩を検査する「満球テスト」も行われていたということになるでしょう。気球から水素ガスが洩れ出てしまえば気球はどんどん縮小し、途中の太平洋上に落下してしまう。たとえ精密な「高度保持装置」をつけても、気球の「球皮」の質が不十分であったならそれは全く無駄骨になってしまうわけですから、この「満球テスト」はかなり厳密に行われたに違いない。『Wikipedia』には、気球の「材質は和紙とコンニャク糊で、薄い和紙を5層にコンニャク糊で貼り合わせ、乾燥させた後に、風船の表面に苛性ソーダ液を塗ってコンニャク糊を強化」したとあります。高度1万メートル前後を、太陽を受けた面は20℃、受けない面はマイナス50度、つまり70度も温度差のある中、秒速60m(時速およそ200km)のジェット気流に乗って1万メートルの長距離を飛んでいかなければならないといった、苛酷な条件に耐える気球でなくてはいけないわけで、それを純国産の和紙とコンニャク糊(それに苛性ソーダ+わずか100gの「高度保持装置」)で完成させてしまったというのは、ある意味、驚くべきことです。 . . . 本文を読む