素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

鳥羽・小浜は懐かしい場所

2023年03月11日 | 日記
 今回泊まった「鳥羽彩朝楽」は鳥羽市の小浜(おはま)にある。ここに決めた理由の1つに、私にとって小浜は懐かしい場所だが60年近く訪れていないのでどう変わっているのか見たかった。というのがあった。

 小浜で母方の祖母の弟、すなわち母の叔父が養鶏場を営んでいた。母の叔父夫婦には私より2歳上の長男と同じ年の長女、6歳下の次男と3人の子供がいた。私も鳥羽の産院で生まれたこともあり産後は小浜の家で過ごした。そこには母方の曾祖母(ひいばあちゃん)が同居していたので私は伊勢に住んでいた祖母を「伊勢のばあちゃん」、曾祖母を「小浜のばあちゃん」と呼んでいた。
 
 小学生になってからは夏、冬の長期休暇には一人で1週間ほど小浜で過ごした。長男、長女とは年齢が近かったのでその友達を含めてトランプや人生ゲームなどに興じた。特に、百人一首かるたでちらし取り、源平合戦、坊主めくりなどをよくやっていた。

 私が中学生の時、鳥羽の別の場所に引っ越したので小浜との縁は切れた。高校生の時は今のように近鉄1本で伊勢まで行くことは出来なかった。磯部駅(今は上之郷駅になっている)から志摩電で鳥羽に出て、国鉄(現JR)参宮線に乗り換え伊勢市駅で下車して30分弱歩いてつうがくしていた。鳥羽駅を出てすぐに入り江をはさんで小浜の家が見えたので行き帰りの車窓から懐かしく見ていた。

 近鉄が宇治山田駅から鳥羽、賢島まで延伸して近鉄鳥羽線を開業したのは私が大学生になった昭和45(1970)年である。それまでは国鉄鳥羽駅横にすぐ白浜の海が広がっていた。有名な「戸田家」も今と違って国鉄鳥羽駅からは防波堤越しに海をはさんで見えていた。

 今の近鉄駅構内や国道、「一番街」の建物はすべて埋立地に建てられたものである。大学生になって初めて近鉄鳥羽線を使って鳥羽駅に下りた時海が無くなっていて「戸田家」が陸続きに建っているのを見て ♪帰って見れば こはいかに ♪の浦島太郎気分だった。

 鳥羽駅の手前から小浜に入る道がある。宿の「彩朝楽」は小浜の突端にあることは地図で確認してあったし、道路は60年前と同じ1本道である。入口付近の様子は昔とあまり変わらないなと感じたが、入り江の入口に橋が架かっていたはずが駅付近と同様埋め立てられていて昔の面影は皆無であった。まさしく♪元居た家も村も無く♪である。

 妻が大型クルーズ船「プリンセスダイヤモンド号」を眺めていた時、私はベッドの上で♪月日の経つのは夢の内♪と昔遊んだ懐かしい光景を思い浮かべていた。

 
コメント
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