某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

東洋史の楽しさ?

2014-08-13 16:58:53 | ちょっと気になる話
 電車の大学広告に某大学某教授の「学問のすすめ」があった。「東洋史の楽しさは、ミステリーの謎解きに似ている。史実の謎を解き明かす喜びは、これからの人生をきっと豊かなものにしてくれる」と。
 歴史研究者は探偵にならねばならない、とよく言われる。刑事コロンボのように。彼はほんのちょっとした事を手掛かりに真相を解明してゆく。その鮮やかさには毎度感心させられる。歴史研究者も同じ細心の注意を払って資料を読み解け、というのが探偵といわれる理由だろう(東洋史だけ特別ということはないが)。
 確かに、謎解きが成功した時は嬉しい。今まで誰も気がつかなかった事を明らかに出来たのだから(そんなことはめったにないが)。しかし、嬉しさは一時で、しかもごくたまにしかない。加えて、知らなければよかった、と思うようなことも少なからずある。刑事が犯人に同情しながら手錠をかけるようなものだ。謎を解いた「喜び」が「人生を豊かなものにしてくれる」などと学生をおだてる気にはとてもなれない。
 若者の歴史離れに歯止めをかける立場の先生だから、歴史研究を楽しいと伝えたかったのだろうし、本当に、一面ではそう思ってもいるのだろうが、つられて入った学生が失望して一層歴史離れにっては困る。
 やはり素直に「自分の知らなかったことを知るのがどれほど楽しいか、特に東洋史では僕等の日常の中に<これもそうか、あれもそうだったのか>とびっくりすることが山ほどある。それを学習で実感してほしい」と書くべきではなかったか。歴史の謎解きなど学生には10年早い。そう簡単に謎解きが出来るわけがない事を、先生本人が一番良く知っているのだから。
 「若い人の無限の可能性をもっと信じなさい」と叱られるかもしれないな。
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広島と長崎で被爆したアイルランド人たち

2014-08-12 01:48:12 | 怖い経験
 アイリッシュ・タイムズ紙に広島で被爆したアイルランドの女性と長崎で被爆した男性の話が載っていた(8月6日)。女性はカトリックの修道女でJulie Cannyさん。アイルランド西部のゴールウエイ生まれで、ニューヨークから広島の女子修道院に1939年に派遣された。2年後に日米開戦。始めはアメリカ人と思われて収容されてしまうが、後にアイルランドは中立だとわかって女子修道院に戻される。8月6日朝には修道院の庭でお祈りをしていて被爆した。爆心から2キロのところだったという。幸い放射能による障害に耐えて日本での修道女の生涯を貫き、東京で1987年93歳でなくなった。亡くなる2年前にその体験がAndersonstown Newsという新聞に載せられているという。
 長崎で被爆したのはDr.Aidan MacCarthyさん。コーク出身。RAFで捕虜だったというからイギリス空軍の軍医だったのだろう。被爆した時、近くの三菱の工場で500人もの女性が即死したと語ったという。1995年に亡くなったが、其の直前にA Doctor's Warというタイトルで本を出版しているという。
 広島、長崎ではどれほど多くの外国の人々が被爆しているのだろう。捕虜だけでもかなり多くの国の人々になるだろう。
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これ俺のこと?

2014-08-12 00:37:41 | ぼやき
 「時間あり本あり妻なし夜の秋」京都の方(男性)の朝日俳壇への投句(8月10日。)
 金子兜太氏選。読んでウヘッと思った。まるで俺のことではないか。しかし、本はあるが、熱帯夜続きで読むのも書くのも吹矢をするのも全然調子が悪い。涼しい秋が恋しい。作者も同じように秋が恋しいのだろう。昨夜から風がちょっと涼しくなって良い気持ちだ。そのせいか、スランプで全然当たらなかった吹矢が、今日はかなり当たった。半分回復というところか。現金なものだ。

 朝日の歌壇俳壇には良い句や短歌が並んでいる。

 「イスラエルの<自衛権>より放たれて ガザの幼児にとどきたる砲弾(たま)」近江八幡市の方。
 馬場あき子さんと永田和宏さんが選んでいる。集団的自衛権行使は、自衛隊員にこのような「罪」を犯しやすくさせるのではないか、という恐れ、行使阻止の願い、祈りが込められている。

 「終戦がせめて十日早かリせばと 詮なき嘆き夏がまた来ぬ」志摩市の方の作。
 広島も長崎もポツダム宣言受諾が十日早ければ被爆しなかった。作者も敗戦直前に身内の方を亡くされたのだろう。
 大和市の女性の俳句も選ばれていた。「夏去りて太陽族も老いにけり」
 大和市は近頃湘南の一隅らしい。この句には辛辣だがしゃれた批判があって楽しい。石原慎太郎の「老残」を憐れんでいる。石原は大学で私より2学年後輩なのに、なぜかやたらと爺むさい。もう憐憫の情を持って見られるだけの老人でしかないのだ。
コメント (2)
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また「はだしのゲン」ですいません

2014-08-10 03:36:53 | 楽しい企画
 この映画には私でも知っている「有名」な俳優さんが出演しています。三国連太郎、左幸子。残念ながらあとは名前を知りません、よく見る顔ばかりなのですが。初めて見ました、それも申し訳ない話ですが。
 随分前の映画なのに、今の私達の気持にピッタリでした。広島に原爆が落とされ、かろうじて生き残った母親(左幸子)が最後に叫びます「天皇陛下様、あなたは戦争を止めてくださいました。ではなぜ、戦争を始めることを止めて下さらなかったのですか」(文言は違うかもしれません。意味したことだけです)今こんなことを言ったら仕事を乾されるでしょう。時代が右に回ってきているのを感じます。
 今多くの俳優さんたちが、原発問題や秘密保護法、集団的自衛権容認などについて発言しています。凄いと思います。下手すればそれだけで乾されてしまう。仕事の注文がなければ終わりでしょう。干されないためには、こういう問題には触れない生き方をしなければならない。昔もあまり変わらなかったのでしょう。
 戦時中多くの芸人が前線の将兵の慰問に行き、「若い彼等を慰めたかった」と戦後ひと頃までは弁解していました。近頃は良い事をしたみたいに言ってます。そういうのを聞く度に「所詮彼等は権力におべっかをつかい、寄生して生きる虫だから」と軽蔑していました。今でもそう思っています。今の方がそういう「虫」は多いでしょう。増えていると言うべきでしょう。しかし、近頃そうではない方々も随分増えました。尊敬しています。命をかけているのですからね。
 
 
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深読み?

2014-08-08 00:31:11 | ぼやき
 泥酔の語源を知ったふりして書いていい気になっていて、気がついた。「泥」と言う虫は脱水状態になると「でろでろ」になって、泥のようにベチャー・グチャーになる。しかし、人間が酒を飲みすぎて「泥酔」になると言うのは、液体が過剰に摂取された結果だから、水がなくてでろでろになる虫とは違うのではないか、と。日本では「酒におぼれる」という。だとすると、日本人の「前後不覚の酔い」を泥酔というのはおかしくないか、と。
 しかし、だ。酒(アルコール飲料一般)は、体内の水分を減らし、脱水状態にするという。そうなると当然早く酔う。航空機内でアルコール飲料を飲み過ぎて始末のわるくなった国会議員や政治評論家のことが、ひと頃新聞紙上を賑わしたのは多分この「飲み過ぎ脱水状態」のゆえだ。
 だとすると、虫「泥」とおなじで、人間も脱水状態で泥になるわけだ。中国人の想像力は凄いな。現代医学がつきとめ、警告していることを、何千年も前に言っている。「昔の中国人は偉かった」ということかな。
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