某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

稲むらの火

2011-07-30 21:54:21 | ぼやき
 先日四谷で会議があった。少し早く着きすぎたので、メトロの駅にくっついている消防博物館に寄った。東日本大震災関係の展示があった。会場ではアニメ「稲むらの火」を上映していた。私もあの3月11日にこの話を思い出した。この話を掘り起こし、戦前の日本人の共通の知識、教訓にしたのはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)だということも知っていた。何より、小学校の国語教科書にあって感激したから忘れようがない。
 先年のスマトラ沖大地震で、小泉首相は現地の人に「日本には稲むらの火という話があるそうだが」と聞かれたが全然知らなかった、という話がある。同じ小泉でも随分違うものだ。戦後のボンボンだから仕方がないか。
 それはともかく、五兵衛さんと言う名前で登場するあの名主さんは、本名浜口儀兵衛(1820~85)ヤマサ醤油の7代目当主。私は紀州の話だと覚えていたから、ヤマサ醤油と知って、ありゃ和歌山だと思いこんでいたら千葉だったか、と一瞬記憶を疑った。しかし、安政の東海地震(1854年12月)で、紀州和歌山藩の広村というところの話だった。小学生の記憶というのは凄いものだ。
 刈り入れ、積み上げたばかりの稲むらに、惜しげもなく火を付けた、というくだりにも感激したのだが、実際は米を梳きとった後の稲わらに火を付けたらしい。それも、津波を予知して知らせるためにやったのではなく、村人が避難してくるのに道を迷わぬように、足元を明るくするためにやったらしい。いわば、ラフカディオ・ハーンの誤解が話を大変感激的にした。実際を知っている人も、ハーンの感激的誤解をあえてそのままにしておいたらしい。無用のとがめ立てをしないところがまた良いね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの映画

2011-07-30 14:00:19 | ぼやき
 恒例のバス旅行の計画を仲間と練っている。今年は石和温泉の民宿。恵林寺で「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と名僧を気取ったり、名物料理を楽しんだり。しかし、やはり少しはお「勉強」もしないと、というわけで出された案の一つが、長く原発反対の立場を貫いてきた方のDVD。宿屋で食後に見るという。しかし、せっかく温泉でリラックスするのに、またまた肩が凝っては効果半減という反対論もある。
 参加者はご多聞にもれず高齢者ばかりだから、懐かしの映画はどうだ、という声も出た。推されたのは「わが青春に悔いなし」。戦後間もなく出来た映画で藤田進(黒沢の「姿三四郎」で私は覚えている。あれは中学に入学した昭和18年に見た)と原節子。京都大学の滝川事件が背後に見え隠れしていた。戦時中の非国民扱いから戦後の農村民主化運動のリーダーへとおしまいは明るくなるが、途中の暗いこと。しかし、気がついて見ると、大勢順応型で保守的な今の「世間の風」と実は大差ない。
 あとで、私の「懐かしの名画」は何だろうと思った。すぐ出てきたのは「哀愁」。ロンドンにいるとき、毎週大学からあの映画の原題Waterloo Bridge(ウォ―タールー橋) をわたって音楽会場(ロイヤル・フェスティヴァル・ホール)に通った。その度に主人公のヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーを思い出した。あの二人が始めて会う場面を、今井正が「また逢う日まで」でそっくり使っていた。第一次大戦と第二次大戦という大きな違いはあるが、空襲の場面は同じだ。もっとも「哀愁」が出来たのは1940年だから、空襲の場面も現代的なのだろう。外人は出会うとすぐ結婚するのか、と驚いたり、スーパーで閉店の合図に「蛍の光」が流れると、「これを流すようになったのは『哀愁』で使われてからだ」と思いだしたり。「君の名は」はこの「哀愁」の日本型コピーだという。そうなると真知子さんも売春婦になったのか?そうだったらあれほどの国民的評価は得られなかっただろう。菊田さんに本当のところを聞いてみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする