某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

また、俳句と短歌

2011-07-02 01:53:31 | ぼやき
 今朝の天声人語に次のような俳句と短歌が紹介されていた。
 「原発と直線距離の寒さかな」 山河に隔てられて遠く感じていた原発がコンパスでまわしてみるとすぐ近くにあると分かる。寒さは心胆の寒さでもある、と。四年も前の句。金子兜太選。次は短歌。「原発の同心円に居て仰ぐおぼろの月のまどかなるかな」これは福島市の方。5月の歌壇に載った。
 川柳はどうか、と思ったがピンとくるのが見つからなかったので、拙作を一つ。「原発事故 あらゆる政府は黙りこむ」 スリーマイル、チェルノブイリ、福島、と国は違うが、共通しているのは先ず否定し、後になってから小出しに発表し、常に安全を強調し、犠牲者の数を最後まで(福島はまだだが)小さく発表すること。これが皆に見えてきた。お上の言うことを信じて疑わなかった「忠良なる臣民、日本人」が、「でも少し違うんじゃない?」と政府や関係会社などの発表に疑いの目を向けるようになってきている。
 しかし、それでも、佐賀県の玄海原発の運転再開を知事が早々と認めた。海江田経済産業相が「安全性は国が責任を持つ」と言ったからだそうだ。そう思って見るせいか、近頃「でも原発は必要だ」という論調が増えてるみたい。日本経済の再生発展にはエネルギーが必要不可欠。その鍵を握っているのは原子力発電だ、と。だから、経済産業相が佐賀まで行ったのだ。萬一何かあったら、政府や会社はまた「想定外」と言うのだろうか。原発は当初地元自治体にジャブジャブ金を出す。国や電力会社にとってはそれほど大金でなくとも、その金が欲しいから、どこでも、もっともらしい口実を並べて原発を誘致する。運転を再開させる。何があっても変わらない。凄いものだ。
 犠牲になった人々は悲惨だ。おまけに沢山集まった義捐金すらまだろくに配られていない。死ぬも地獄、生きるも地獄とはまさにこのこと。
 拙作の川柳。実はちょっと盗作気味。朝日「私の視点」(7月1日朝刊)の見出しを少し変えただけ(放射能事故を原発事故に)。タイトルや、書いたり話したりが五・七・五になると調子がいい。「おじょうさん 早くお帰り 日が暮れる」と。古いね。
 
コメント (2)
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