某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

懐かしの映画

2011-07-30 14:00:19 | ぼやき
 恒例のバス旅行の計画を仲間と練っている。今年は石和温泉の民宿。恵林寺で「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と名僧を気取ったり、名物料理を楽しんだり。しかし、やはり少しはお「勉強」もしないと、というわけで出された案の一つが、長く原発反対の立場を貫いてきた方のDVD。宿屋で食後に見るという。しかし、せっかく温泉でリラックスするのに、またまた肩が凝っては効果半減という反対論もある。
 参加者はご多聞にもれず高齢者ばかりだから、懐かしの映画はどうだ、という声も出た。推されたのは「わが青春に悔いなし」。戦後間もなく出来た映画で藤田進(黒沢の「姿三四郎」で私は覚えている。あれは中学に入学した昭和18年に見た)と原節子。京都大学の滝川事件が背後に見え隠れしていた。戦時中の非国民扱いから戦後の農村民主化運動のリーダーへとおしまいは明るくなるが、途中の暗いこと。しかし、気がついて見ると、大勢順応型で保守的な今の「世間の風」と実は大差ない。
 あとで、私の「懐かしの名画」は何だろうと思った。すぐ出てきたのは「哀愁」。ロンドンにいるとき、毎週大学からあの映画の原題Waterloo Bridge(ウォ―タールー橋) をわたって音楽会場(ロイヤル・フェスティヴァル・ホール)に通った。その度に主人公のヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーを思い出した。あの二人が始めて会う場面を、今井正が「また逢う日まで」でそっくり使っていた。第一次大戦と第二次大戦という大きな違いはあるが、空襲の場面は同じだ。もっとも「哀愁」が出来たのは1940年だから、空襲の場面も現代的なのだろう。外人は出会うとすぐ結婚するのか、と驚いたり、スーパーで閉店の合図に「蛍の光」が流れると、「これを流すようになったのは『哀愁』で使われてからだ」と思いだしたり。「君の名は」はこの「哀愁」の日本型コピーだという。そうなると真知子さんも売春婦になったのか?そうだったらあれほどの国民的評価は得られなかっただろう。菊田さんに本当のところを聞いてみたい。
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