将棋 この盤外戦術がすごい! 大山康晴vs羽生善治 1988年 王将戦

2020年07月10日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 大山康晴といえば盤外戦術である。

 いまはあまり聞かなくなったが、かつての将棋界では盤上の棋力だけでなく、それ以外の場面でのやりとりも、勝負に関わっていた面があったという。

 大山康晴十五世名人はその達人であり、ただでさえ圧倒的な強さを誇るのに、そのうえ心理戦など各種の「勝ち方」にも長けているとあっては、攻略するのは至難である。

 私が将棋に興味を持ったころは、すでにキャリアも晩年だったが、それでもときおり、

 

 「おお、これが噂の」

 

 思わせる事件もあったもの。

 前回は田丸昇九段が、人生最大の大勝負で食らった精神攻撃を紹介したが(→こちら)、今回はあの「天才少年」すら被害にあった一例を。

 

 1988年の第38期王将戦で、大山康晴十五世名人と羽生善治五段が当たることとなった。

 かつての大名人と、次世代王者候補の若者とあって、注目度の高いカードだったが、この一局は内容以上に、その大山の不可解な行動によって話題を集めた。

 なんとこの対戦を突如、2日制にしようと提案したのだ。

 この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。

 それを将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日に青森に遠征。

 そこのイベントで公開対局にし、決着をつけようというのだ。

 羽生からすれば、「急になんでやねん」という話だし、まだ高校生だから学校もあるしで(実際、羽生はいそがしすぎて全日制の都立高校を卒業できなかった)、嫌がらせのようにしか思えまい。

 しかもえげつないのが、対局開始が5月の21日。

 すぐ移動して、青森での公開対局が次の日で、23日がまた移動日

 そしてなんと、休む間もなく翌日の24日が、富岡英作六段との竜王戦4組決勝

 160万円の賞金と、本戦トーナメント出場をかけた大一番だったのだ。

 まるで最近の、藤井聡太七段のような日程だが、もちろんコロナ騒動などなく「大山の意向」でこうなった。

 負担の大きすぎるスケジュールで、こんなことをする意味などまったくないはずだが、大先輩である大山の威光に、いかな羽生といえども逆らえるわけもない。

 結局そのイベントは敢行されたが、振り回された羽生は力を出せなかったか、不出来な将棋を見せてしまうことに。

 

 

 

 中盤戦。大山が△57歩の軽手を放ったところ。

 これが、指した本人も自賛する好感覚で、飛車の働きに差があり、後手が優勢。

 このあとも、後手にだけ気持ちのよい手が連発し、若き日の羽生を圧倒

 

 

 

 投了直前の図だが、これを見るだけで、いかに大山が好きなように指したかわかる。

 もともとからしてハードなスケジュールに移動の疲れ、また青森のファンサービスなど気も使い、将棋も完敗。

 さしもの未来の七冠王も、グッタリさせられたそうな。

 この強引、かつ今ひとつ真意の見えない行動の意味はわからないが、大山(だけでなく当時の有力棋士や評論家の多く)は、もちろん強さは認めながらも、羽生のことをあまり買ってなかった。

 それは今思えば、あまりに昭和将棋界と価値観が違いすぎたことも一因だが、そのへんのことを鑑みれば、まあ好意的な話ではないだろう。

 これだけ見れば、ワケの分からない出来事だけど、前回の田丸八段とのやり取りもつい最近のことで、となれば、この一連の騒動も「盤外戦術」のひとつだったかも、と子供心に思った記憶がある。

 もしそうなら、自分の孫ほどの年齢の子にも「仕かける」心意気は、ある意味すごいかもしれない。

 もう60代もなかばだったのに、現役感バリバリではないか。

 ちなみに、『大山康晴名局集』に掲載された自戦記で、大山はこの将棋を取り上げているが、手の解説に終始し、青森に遠征うんぬんについては、まったく触れられていない。

 なんとも不自然で、このあたりも、ますます「やってんな」感を深めるところだ。
 
 ただ、羽生も負けてないのは、続く4組決勝だ。

 強敵、富岡六段を相手に難解な終盤戦を戦い、むかえたこの局面。

 

 

 

 △35銀と打たれて、飛車が死んでいるうえに、▲88にいるもブラになって、△65で重しになっている敵のを取ることもできない。

 先手ピンチを思わせるが、ここですばらしいカウンターがあった。

 

 

 

 

 

 ▲77角と上がるのが、妙手一閃。

 これでバラバラだったはずの先手の駒が、見事な連結を発揮することに。

 次、▲65金と取られると、△77角成▲同玉と取り返した形のが抜けていて、先手玉に寄せがなくなる。

 かといって、ここで△66銀と取ると、よろこんで▲同飛と取られ、死んでいたはずの飛車が逃げられるうえに、△同角には▲同角で、責められるだけだった大駒2枚が見事にさばけてしまう。

 

 

 それでも富岡は△36銀とするしかないが、やはり▲65金をはずされて攻めが薄い。

 一回△48飛と王手して、▲67玉に、△77角成とするが、▲同玉で後続がない。

 

 

 

 以下、上部脱出を果たして羽生が制勝。

 さすがの強さで、大山の存在感も健在だが、羽生の胆力も並ではなかった。

 まだ10代なのに、負けてませんねえ。

 以前、藤井聡太七段に対して、

 

 「もっとイベントなどに出席しなさい」

 

 などと注進した棋士がいたらしく、

 

 「学業との両立にいそがしい藤井君に、変な負担をかけるな」

 

 ファンがそう反論したという出来事があったが、もし大山先生が今でも生きてたら、全然そんなん言うてはったんでしょうね(笑)。

 

 (羽生善治と森内俊之の早指し新鋭戦編に続く→こちら

 

 

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