ニコルソン・ベイカー『中二階』と東海林さだお

2020年07月01日 | 
 ニコルソン・ベイカー『中二階』を読む。
 
 朝起きたら虫のカフカ変身』とか、気ちがい小説の代名詞である夢野久作ドグラ・マグラ』。翻訳不可能といわれた怪作ジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』などなど、
 
 「ようこんなん、書こうと思いましたな」
 
 そう感心する小説は枚挙にいとまがない。
 
 そんな「な小説」のひとつに、ニコルソン・ベイカー中二階』は間違いなくあげることができる。
 
 ストーリーは基本的にない
 
 建物の中二階にあるオフィスで働く主人公が、あれこれ考え事をしながらエスカレーターに乗って降りる。そんだけの話。
 
 というと、なんやねんそれと言われそうだが、この小説のキモは「あれこれ考えながら」のこと。
 
 これがアメリカのビジネスマンらしい「グローバル社会の矛盾」とか「世界経済の今後のゆくえ」なんてことではなく、
 
 
 「炭酸飲料を飲むときに使うストローの遍歴」
 
 「スーパーで渡される紙袋の用法」
 
 「トイレにあるペーパータオルの使い勝手」
 
 
 などなど、身近にある道具機械などについて、あれこれと、らちもないことを思い浮かべるだけなのだ。
 
 しかもこれが、膨大な「注釈」を入れて語る語る。
 
 
 「ストローをコーラの缶に挿すと浮き上がってしまうが、これをどうすればうまく沈みこむようにできるか」
 
 
 について約1ページ半におよぶ「注」で語りまくるのだ。
 
 田中康夫の『なんとなくクリスタル』か! これを「変な小説」と言わずして、なにをというのか。
 
 でもって、この物語は約200ページ間、ずーっとこの調子。
 
 
 「靴ひもの正しい結び方」
 
 「耳栓へのこだわり」
 
 「我いかに、トイレにある熱風乾燥器を認めていないか」
 
 
 そんな「知らんがな」な考察が、これでもかと押し寄せてくる。とこのとんまで、どうでもいい話なのだ。
 
 じゃあ、これがつまんないのかといえば、なぜかおもしろい。不思議な読ませ方をする。
 
 なんなんだろうなあ。バカバカしいんだけど、
 
 「こんなバカバカしいもん、頭いいヤツじゃないと絶対に書けないよな」
 
 と思わせるんだよなあ。
 
 この「どうでもいいこだわり」を書き連ねて読ませるスタイルって、だれかに似てるなあと思ったら、読んでる途中でハタとひざを打った。
 
 これって、日本でいえば東海林さだおさんだ。
 
 ショージ君もまた、その著書や連載の中で、
 
 
 「あんぱんは、こしあんか粒あんか」
 
 「味つけノリにしょうゆをつけるのは、ゴハンから見て表側か裏側か」
 
 
 といった、日常の些末に対する論を展開することを得意とされているのだ。『中二階』には、
 
 
 「トーストにバターを、どう塗るのがベストか」。
 
 
 というくだりがあって、
 
 「これこそまさにショージ君!」
 
 我が視点のスルドサに、ひそかにニンマリしたものだ。
 
 とにかくこの小説、全編この調子で「ホチキスをとめる爽快感」みたいな「どうでもいい」ことがあるだけです。
 
 私のようにそのスットボケ感がくせになる人もいれば、「だから何?」と本を投げ出す人もいるかもしれない。
 
 そういえば、東海林さんは味つけのりの話を書いたとき、
 
 
 「そんなくだらんことより、天下国家のことを論じんか!」
 
 
 といった、おしかりの手紙を受け取ったそうだが、ショージ君のように、
 
 
 「天下国家のことはクダラナイが、味つけのりとしょうゆの話は楽しい」
 
 
 そう感じる人には、ニコルソン・ベイカー『中二階』は、けっこうおススメです。
 
 
 
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