死にたくなったときはどうすればいいか

2015年01月16日 | ちょっとまじめな話
「死にたくなったらどうしたらいいですか」。

 先日、家でラジオを聴いていたら、そんな言葉が耳に飛びこんできた。

 どうやら人生相談のコーナーで読まれたハガキのようだったが、ラジオや新聞のみならず、皆さまも同じようなことを聞かれたり、また誰かに相談してみたことがあるではなかろうか。

 私自身この手の質問には、こう答えることが多い。

 「死にたくなったら、なるたけバカなことを考えなさい」

 これはミュージシャンで作家の大槻ケンヂさんも同じことをおっしゃっておられ、

 「僕は死にたくなったら、オリジナルのプロレス最強必殺技か、至高のおっぱいの形に想像をめぐらしてみる」

 こういう腰砕けなことに意識を追いやると、そのあまりの脱力感に「死のう」という気持ちが多少なりとも萎えて、楽になるのだ。

 私も落ちこんだときはネットなどで『ウルトラファイト』などバカ映像を見ることが多いし、鬱病に悩まされた中島らもさんも「やばい」と思ったときには、

 「てけてんてんてんてん」

 声に出して10回唱えていたとか。

 7回目くらいから、あまりにもバカバカしく恥ずかしく、鬱もそっちにつられて少しまぎれるのだそうだ。けっこう、みな同じことをやっているようだ。

 とはいえ、中には幸か不幸かスットコな妄想を喚起する「中2病」をすでに克服してしまっている人もいて、

 「いい大人が、おっぱいとか無理だよ!」

 そう、うったえてくるかもしれない。

 まあ、この意見自体は完全無欠に正論である。マジメな人など逆に

 「落ちこんでいるときにおっぱいなど、オレは究極のダメ人間だ」

 ますます死にたくなる可能性もある。

 そういう人はどうすればいいのか。むずかしいところであるが、自死回避と言えば、私の好きな言葉にこんなのがある。

 「来年のダービーを見るまで自殺できない」。

 将棋のプロ棋士である先崎学九段のエッセイで紹介されていたものだ。

 ギャンブル好きの先チャンらしい言葉だが、これにはなるほどと感心してしまった。

 私は競馬をやらないが、別にダービーでなく自分の知っているジャンルに置きかえれば実に応用が利く。

 野球ファンなら来年の阪神の結果でもいいし、サッカー好きが次のワールドカップの結果を知らずに死ねるはずもないだろう。

 私も2012年のこの時期に、少しばかり気鬱になったことがあった。

 別に、すぐさまビルの屋上からダイブしたいというほど深刻でもなかったが、「今、消えてしまったら楽だろうな」とボンヤリ思うくらい、それなりには落ちこんでいた。

 そんなときに、テニスの全豪オープン決勝終了後、優勝スピーチでノバク・ジョコビッチがこんなことを言ったのを聞いたのだ。

 「みなさん、また来年この場所で会いましょう」

 この瞬間、なんだか心の中の暗雲がスーッと引いていったのを、今でも覚えている。

 また来年会いましょう。ということは、もし今冗談でも死んだら、来年のオーストラリアン・オープンが観られないではないか。この素晴らしい決勝戦を、もう二度と。

 そう思った途端に、「あ、こら来年までは、しっかり生きないとな」とエンジンがかかったのだ。

 そう、来年の全豪決勝を見るまでは死ねない。変な言い方だが、

 「これで1年、寿命が延びたな」

 そう思ったものだった。ノバクには感謝している。

 あるとき、この話を友人サカイ君にすると、

 「あー、それわかる」

 大いに賛同してくれた。

 「オレもさあ、アニメ好きやんか。だから、『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビでやってたときは、《今だけはなにがあっても死なれへん》って思ってたもん」。

 放送中は当たり前で、最終回から春夏の劇場版が公開されるまでの間は、石にかじりついてでも生き延びなければならない。

 「あの続き、どないなっとるねん」

 気になって死んでる場合ではないのだ。

 そうだよなあ。とりあえず死にたいときには、「気になる来年のなにか」を見つけておくと、応急処置にはいいはずだ。

 もっとも、サカイ君曰く、

 「夏の劇場版のラスト見たら、その場で死にたくなったけどな」

 一難去ってまた一難。人の心を救うというのは、なかなか大変なことであるようだなあ。






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