将棋は悪手こそがおもしろい! 「将棋は逆転のゲーム」「1手1000点」の本質について 

2018年07月20日 | 将棋・雑談
 「将棋は逆転のゲームですから」
 
 というのは、プロ棋士や将棋ファンの間で、よく使われる言葉である。
 
 最近ではコンピューターソフトの「評価値」から取って、
 
 「1手1000点
 
 なんて言葉もあるが(1手の悪手で、ポイント数で+1000点もある有利さが一瞬で消し飛ぶこと)、まさに将棋の難しさ、おそろしさ、そしておもしろさを端的に表現したものだといえよう。
 
 ニコ生abemaで観戦している人ならわかっていただけると思うけど、ギャラリーが最も盛り上がるのが、
 
 「プロの放つ絶妙手」
 
 としたら、同じくらいに跳ねるのが、
 
 「やらかし
 
 で評価値が激変するとき。
 
 それまで、あざやかな指しまわしを見せ、
 
 
 「プロはすごいな」
 
 「さすがタイトル保持者」
 
 「まさに盤石の態勢だ」
 
 
 視聴者を感嘆させたところ、ポンと指されたなにげない1手によって、すべてがくつがえる。
 
 +2000くらいあって「もうすぐ現代」「反省タイム中」なんてキャッキャ遊んでいた評価値が「13」くらいまですべり落ち
 
 
 「やってもうた!」
 
 「ソフト激おこ」
 
 「え? なにが起こったの?」
 
 
 なんてコメントや実況が翻弄され、解説者
 
 
 「一気に互角だけど、なにが悪いのか、さっぱりわかりません」
 
 
 なんて頭をかかえるのを見ると、うんうんとうなずきながら、モニターの前ですわりなおすことになる。
 
 ここからが本番ですわ、と。
 
 そう、一時期コンピューター将棋の台頭で
 
 
 「棋士の存在価値が失われるのでは」
 
 
 という危機感のようなものが浮上したが、私をふくめ、「そうでもないのでは?」と思った方も多いのではないか。
 
 というのも、人はスポーツや勝負事に、技術もさることながら、圧倒的に「物語性」を見ているから。
 
 いわば、野球ファンが技術的に優れたメジャーリーグよりも、高校野球を楽しむのは、その「物語」の部分において「甲子園」という存在が圧倒的だからだ。
 
 それと同じで、今のところ人の指す将棋は
 
 「歴史
 
 「指す人や解説者のキャラ
 
 などが、機械のそれを上回っているので、そこに関しては、まだ大丈夫なのではあるまいかと。
 
 もっとも、これはあくまで「今のところは」で、これからどうなるかはわかりませんが。
 
 それともうひとつが、なんといっても将棋のおもしろさは、「悪手」「フルえ」にこそあること。
 
 というと、将棋を知らない人は首をかしげるかもしれないけど、技術やメンタル的に「稚拙」とされ、コンピュータに対して人が圧倒的に「弱点」としてかかえる、
 
 
 「ウッカリ」
 
 「体力や集中力維持の難しさ」
 
 「精神的プレッシャーによる乱れ」
 
 
 実はこれこそが、ミスの少ないコンピュータよりも、人の将棋の方が圧倒的に「興行としてすぐれている」ところなのだ。
 
 ここに断言してもいい。将棋(というか囲碁でもチェスでもサッカーでテニスでも、あらゆる「ゲーム」)のもっともおもしろい場面というのは、「悪い手」が形成されてしまうメカニズムにあると。
 
 理屈では説明できない、とんでもない見落としや、
 
 
 「勝てる」
 
 「負けたくない」
 
 
 意識した瞬間から気持ちが乱れ、「フルえて」しまい、プロなら考えられないような日和った手を指してしまう。
 
 藤井聡太が語られるべきところは、
 
 
 「29連勝」
 
 「朝日杯決勝の▲44桂」
 
 「対石田戦の寄せ△77同飛成」
 
 
 などと並んで、あの叡王戦大逆転負けだろう。
 
 物議をかもした「待った」騒動も、ライバル増田康宏のすごみが、彼をあそこまで精神的に追いこんだゆえのこと。
 
 叡王戦第3局、評価値4000点という、ソフト換算だと圧倒的優位に見えながら、ついに勝ちを確信できず、千日手にするしかなかった金井恒太が頭をかかえる場面。
 
 棋聖戦第2局で、勝勢を築きながら、簡単な「トン必至」が見えず、急転直下の負けになった豊島将之の青白い顔。
 
 2013年、第61期王座戦の挑戦者決定戦のこと。
 
 中村太地は強敵である郷田真隆を相手に、最後簡単な詰みがあるのをわかっていながら、あえてそれをスルーして1手必至をかけた。

 

王座戦挑決の最終盤。
▲22金から入って、△同銀、▲同銀成、△13玉に、▲12成銀と捨てるのが筋で、△同香は▲22銀まで。
▲12成銀に△同玉には、▲13歩、△同玉、▲22銀、△12玉に、▲14香と捨てるのが好手。
△同金に▲13歩、△同金、▲21銀不成まで15手詰め。
それほど難しくはないというか、プロレベルなら一目だが、中村はわかっていながら▲22金、△同銀に、▲同銀不成として必至をかけて勝った。

 
 
 
 これはもちろん、本来なら「フルえた」手であり、賛否両論あるところだが、本人も語っている通り、
 
 
 「あえてこの手順を選んだ心境」
 
 
 ここにこそ、人の指す将棋の持つ、のようなものを感じ取れるともいえる。
 
 単にビビったという単純な見方だけではすまない、のちにタイトルホルダーになるはずの男が覚悟を決めて、将棋の神様の意向に反する「最善ではない手」を選んだ。
 
 将棋の手の中で詰みだけが、数学的に100%正しい「正義の手」だ。
 
 それを中村太地ほどの棋士が指さなかったところに、なにやら文学的な空気さえ感じられる。
 
 そう、将棋を見ていると、おのずと伝わってくるが、歴史に残る好手や絶妙手もさることながら、本当のその醍醐味は人の不完全なところにこそあるのだということ。
 
 そこで今回から将棋の裏の華ともいえる、悪手ポカに焦点を当てみたい。
 
 それも、ふだんなら絶対に「ウッカリ」などしそうにもない一流棋士の、それも大舞台での。
 
 ともすれば将棋界の歴史を変えた、さらには「1手1000点」どころか「1手9999点」な極上のものをだ。
 
 ということで、次回はまず、あの将棋界の代名詞ともいえるスーパースターの「やらかし」から見ていくことにしたい。
 
 
 (続く→こちら
 
 

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