羽生善治の将棋にまだ哲学がなかったころ

2014年10月17日 | 将棋・雑談

 「羽生の将棋には哲学がない気がする」。

 ある将棋の本だったか雑誌だったかに、そんな一文が載っていたことがあった。

 誰かは忘れたが、将棋好きな作家観戦記者の言葉だったような。

 そう聞くと、世の将棋ファンは

 

 「天下の名人になんたる暴言」

 

 そう憤るかもしれないが、ここにひとつフォローしておくと、この作家氏(もしくは観戦記者氏)の発言は今から25年近く前、まだ羽生さんがデビューしたての四段五段のころの記事なのである。

 ついでに、もうひとつ作家氏をフォローしておくと、たしかにデビュー当時の羽生少年の将棋は今のように洗練されてはいなかった。

 序盤は荒く、海千山千のプロ相手に作戦負けから、必敗になることも多かった。

 並の棋士なら、そのまま圧敗して「なんや、たいしたことあらへんがな」となることろ。

 ところが「天才」羽生善治は、そこからが腕の見せどころ。

 どう考えても投了しかない局面から、持ち前のガッツと曲線的指しまわしで、ねばりまくるのだ。

 このがむしゃらな粘着が、言ってみれば今の名人となった羽生には失われた(というか必要なくなった)資質なのかもしれないが、多くの棋士が敗色濃厚となるときれいに斬られようとする「形作り」に入る中、彼はひたすらに抵抗を続ける。

 その様は、手足を斬られ、鼻と耳を削がれ、とどめに両の眼をつぶされても、血だまりの中をはい回って、残った歯でかみつきに行く、そういった迫力に満ちていた。

 とにかくその「投げない」力と根性が、まだ10代の羽生少年の持ち味であったのだ。

 そして恐ろしいことに、その野球で言えば9点差の9回裏二死から10点取って勝つような、力ずくとしかいいようがない逆転勝利をもぎ取ってしまうのが、なんともすさまじいのである。

 羽生四段といえば奨励会時代から名を知られ、プロ入りしてからも、いきなり8割近く勝ちまくり「未来の名人」とのお墨付きをもらっていた存在。

 その原動力は、このなりふりかまわぬ「クソねばり」にもあったのだ。

 ただ、もうお察しの通り、そりゃ勝てばそれでいい。勝負の世界は過程はどうあれ、結果を出すヤツが偉いのだ。

 だが、いかな羽生少年も、すべての負け将棋をうっちゃれるわけではない。

 勝負の世界では8割勝つ者でも、10番戦えば2回は負ける運命だ。

 で、その負け方が問題。

 ボロボロになっても投げず、悲惨投了図を残すというのは、将棋という競技に一家言あるベテランや「美学派」の棋士にはウケが悪い。

 実際、私も棋譜を並べていて「そこまでやるか……」と思わされることがあったし、羽生さん本人も、



 「若いころの棋譜は、あまり見たくない」



 インタビューなどで、そう苦笑いされていることもあった。

 私は当時から羽生ファンだったから、まあそこはいいんだけど、焼け野原の真ん中、竹槍一本で本土決戦を決行するような羽生少年の執念に、芹沢博文九段のようなベテラン棋士が、そらなにかしら言いたくなったとしても、それなりの根拠もないこともなかったのだ。

 そこから件の「哲学がない」発言になるわけで、今となってはにわかには信じがたいが、かの羽生名人にも、そんなことを言われていた時期があったんですね。

 とまあ、そんな昔のことをなぜにて今思い出したのかといえば、飯島栄治七段(愛称「エーちゃん」)の本『横歩取り超急戦のすべて』の元となる『将棋世界』での連載を読んでいて、とある一枚の棋譜に目が止まったからなのである。


  (続く→こちら





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