潮州の城内にある古い家の門や壁を見るだけでも面白いと、地元に人に言ったら不思議そうな顔をしていた。彼らにとっては日常だが、私にとっては非日常。長い年月を経て風化して朽ち果てた物や建物を見ていると、過去あった時代の流れの痕跡を発見出来たり使っていた人の個性まで見えてくる。
おそらく清の時代の門
門の扉は基本的に木製で大きさはほとんど同じだが、様々な違うデザインの扉になっている。これらの門の中には入る事が出来なかったが、今も人が住んでいる家ばかり。上海だと門の扉は開けっ放しにしている家も多いが、この潮州の家の扉は何処も閉められたまま。
かつてあったであろうレリーフの痕跡。
今でも必ずお目にかかれる壁画
一部色が残っている門のレリーフ
かろうじて残っている絵
剥がされた張り紙の跡
前世紀後半に私は上海で一番古い地域の旧城内を5年かけて撮影していたが、その時の上海人の反応は鼻で笑っていた人がほとんど。わざわざ日本から上海に来て撮るような地域(旧城内)ではないだろうとも言われた。でも、その城内の写真が理解されたのは2007年なので、撮影を始めて約10年後の事だった。
古い骨董品は買う事が出来て所有する事が出来るが、こうした古い街の風景だけは金で買えない。よって、後世に残すには写真が一番適切な手段という事になる。
当時はさぞ豪華で美しかったのでしょうね。
修理して復元なんて考えはなくて
時のままに朽ちていくのが自然なのですね。
街が繁栄していた時は、そうとう豪華だったと思います。想像するだけでわくわくしますね。
これら老朽化した家屋に手をいれず、あるがままの方が逆に美しいと思います。
ちょっと違うかもしれませんが、昭和天皇が生きていた頃、皇居の庭の雑草を刈り取った侍従を叱ったという話があります。
私はその気持わかるような気がします。
彼岸の際のかすかな悲鳴は
誰の耳にも届かず
無辺の流転を経巡りながら
もはや
ただそこに
そのようにあるものとしてあるだけの今
白い夕暮れの訪れが
やつれた素顔に千年の陰影を
ひと筆
刷いて行く
静けさが壁を波状に
這って行く
振り返る旅人の眼差しは
無情なレンズの愛
時の影も
静謐も
なにもかもを
止めてしまうのね 止めてくれるのね
このようにあることをあることとして
あるがままに
*壁の写真に感じて詩のような走り書き。
詩のようなコメントをいただいたのは初めて。
ありがとうございます。
過去の歴史を知ってこの街を歩くと、とても面白いです。
上海より数倍楽しめます。
是非、行って見てください。