海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

潮州の城内のもう一歩奥の路地 1

2016-05-09 | 写真日記

清の時代の家屋が今も残っているこの潮州の城内は、私が撮影した上海の旧城内を飛び越えて更に凄い。なすがままとは、こういう事を言うというのにぴったりの例と共に、ほっとらかしにしているとこういう事になると言う例でもある。この地域は最低気温が10℃を下回る事が無いほど温暖な地域だが湿度は高い地域で、街を歩いているとバナナが植えてあったりですでに南国に近い。

 

ホテル近くの麺屋から 

 

とある場所の四階から

 

 壁には様々な痕跡が

 

 陽の当たらない北側

 

泊まった宿の前の路地

 

 時間が止まっている

 

 路地からさらに奥の路地裏へ

 

なすがままの壁

 

 陽の当たらない北側は壁に苔が

これらの家屋や壁は、人工的には絶対に作れない歴史が作った「ナスガママアート」と勝手に命名。古いものをそれらしく撮影するには、古いレンズに限る。今後、時間をかけて撮りたい街に潮州を選びたい。

CanonFD50mm f1.8+補正レンズ付アダプター+α7Ⅱ

 


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2 コメント

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路地 (kei)
2016-06-15 23:37:14
ヒトがヒトと肩を並べて歩く
ヒトが犬を連れて歩く 山羊でもよいが
ヒトは自転車を押して歩くだろう
荷車もよいが
だが
モーターの音はいらない

路地はヒトとヒトに添うものの
曲線の回廊
朝霧が立ち 夕靄が流れ 夜の帳が降りるまで
ヒトはヒトに出会い 別れていくだろう
この千年の歳月をそうしたように
また千年の歳月を

太陽の弾いたかけらの
東の国のヒトの路地
光年の名残は幾星霜のめぐりを載せて
青黒く

栄枯盛衰の断層は
今なお 日々の涙を湿とらせながら
万巻の記憶を語らず

ただ
沈黙の深淵にわたしを招くだけ

*海原さんの写真は言葉を生みます。
返信する
 (かいはら)
2016-06-16 09:07:54
モーターやエンジンの音がない時代は、この街にどんな音が溢れていたのか。
潮州の城内は、そんな事を想像させてくれる街です。
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