相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

路地裏の教会と呼ばれている「カトリック小田原教会」

2024-05-11 18:00:02 | 教会
小田原市栄町4丁目、JR小田原駅徒歩数分、車通り道から脇道に逸れた住宅街の一画の広い敷地に「路地裏の教会」と呼ばれている「カトリック小田原教会」がある。10mほどの緑色に近い青銅色の塔がひときわ目を惹く美しい教会である。当の右側にはミサを行う広い部屋がある白壁に赤い屋根の2階建ての美しい教会の建物がある。カトリック小田原教会は昭和6年(1931)に献堂され90年近く経過しているが創建当初の姿のままで現在も飾らない美しさと安らぎに満ちた木造建築の教会堂は管理がよく外観だけでも見る価値がある歴史的建造物である。教会はすべての人に開かれた祈りの空間、誰でもいつでも、心静かにお祈りすることができるとある。カトリック教会(ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を最高指導者として全世界に13億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座(聖座、ローマ教皇庁)に置くことから「ローマ教会」あるいは「ローマ・カトリック教会」とも呼ばれる。(2405)
 
 
 
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小田原栄町の鎮守「笠守稲荷神社」

2024-05-11 09:37:14 | 神社
小田原市栄町に笠になって巴御前を救った白狐の逸話が伝わる「笠守稲荷神社」は鎮座している。創建年代は不明だが、女武将として伝えられている「巴御前」(平安時代末期の信濃国の女性)を救った白狐を祀ったとされる祠が起源と云われている。境内の掲示縁起「当笠守稲荷神社は元小田原寺町に天正8年(1590)創立の花葉山一乗院龍雲寺に安置されていた。伝では木曾義仲の夫人巴御前がこの街道を通り掛った時計らずも悪者に襲われ一命に関する折、一匹の「白狐」現われ身を菅笠に変じて危難を救い無事過ぎ行く事が出来たる由、その縁をもって人々同地に祠を造り「笠守稲荷」として崇め多くの人々から敬信され年月を経て来た後、龍雲寺が誓願寺に合併され廃寺となったが、明治16年に足柄上郡沼田「西念寺」の松蔭宣龍上人の発願で現在の地に新寺建立、寺名を改めて華葉山龍雲院善光寺と称してその折、祠を寺門に移し鎮守として護って来た。その後、新道も開けて商店街も発展し、偶々有志の人々と協議し町内の鎮守として永く祀るため現在地に移し、篤信者の援護により「堂宇」完成、人々の参詣後を絶たず当時近くに遊郭新開地有り婦人等の敬信殊に厚くいつしか「笠守」が変じて「瘡守」と呼ばれる様になり、時代も変りその後旧名に改め「笠守稲荷」として人々の篤き信仰の表徴として永く加護される様になった」とある。小田原市内栄町を通る国道255線の左側の住宅街一画に縁起の「掲示板」が掲示され「石の鳥居」と「木製の赤い鳥居」が続き、その奥に「祠」(堂宇)がある。(2405)
 
 
 
 
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「さがみの仲良し小道」では「オステオスペルマム」が赤紫花を披露!!

2024-05-11 07:30:08 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5キロメートルに亘って「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選―」の一つ「さがみの仲良し小道」がある。かつての「相模原台地」に昭和23年から16年をかけ造られた「畑かん水路」が、その後現在の市街地として発展、役目を終えこの水路敷きを活用した緑道が現在の「仲良し小道」である。平成16年3月現在3,616メートルが緑道として整備され今や地域住民のコミュニティーラインとなっている。その「仲良し小道」のほぼ中間位の花壇では赤紫の菊のような「オステオスペルマム」が咲いている。熱帯アフリカ、アラビア原産のキク科オステオスペルマム属の多年草で「アフリカンデージー」とも呼ばれる。オステオスペルマム・バーベリエ、オステオスペルマム・フルティコサムなどを交配による多年草の園芸品種で、株を埋めるように次々と咲くカラフルな花が特徴である。キク科だけに見た目は菊の花である。(2405)
 
 
 
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