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菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

来年度からの少人数学級はどうなるのかー前川喜平氏の見立て

2020年12月20日 14時06分16秒 | 国政
 来年度から、少人数学級の実現がうたわれているが、その詳しい内容を私は知らない。今日の東京新聞・本音のコラム欄は、元文科省政務次官の前川喜平氏が、詳しく説明している。これを読む方が、新聞の予算解説を読むよりは分かりやすい。紹介する。

 少人数学級のこれから
 前川喜平


 来年度から5年で、公立小学校の1学級の児童数の上限は35人にすることが決まった。新型コロナの感染防止や長期休校による遅れ学習の遅れの回復に苦労する学校現場や自治体、学界から少人数学級を求める声が高まっていた。他方、相次ぐ大型補正予算で財政規律が一挙に弱まった。この絶好の好機を逃さなかった文科省は、よく頑張ったと思う。中学校を含めた30人学級は、今後また頑張ってほしい。

 既存の加配定数の一部を振り替えることは少し心配だ。少人数指導やチームティーチングができなくなるのは困る。新採教員が確保できるか。非正規の教員が増えないかという心配もある。勤務条件の改善と非正規任用の規制が必要だろう。

 現下の三密回避のためには、各自治体での国の計画を先取りした少人数学級化が望まれる。加配教員の学級担任への振り替えや特別支援学級への再編成など、現場での柔軟な対応も認めるべきだ。
 将来的には、基礎定数を学級数で計算するのをやめ、加配定数は縮小し、学校ごとの定数を児童生徒の総数に応じて定めるようにすべきだ。特別支援学級を含め学級編成は教育委員会から学校に降ろす。チームティーチングや通級指導も学校に任せる。教職員定数の使い方は現場に委ねるべきなのだ。
(現代教育行政研究会代表)


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コロナ対策・二兎追う者は一兎をも得ず・テレビ朝日コメンテーター・玉川徹氏

2020年12月20日 13時07分37秒 | 日々の雑感
 テレビ朝日の朝のワイドショーにレギュラーで出演しているコメンテーターに、テレビ朝日職員の玉川徹氏がいます。私は、正論を言っていると思うのですが、政府寄りの週刊誌は「玉川徹を黙らせろ」という見出して、批判を始めています。
 その玉川徹氏が、今日の東京新聞の「熱風・涼風」欄に、「まず人々を救え」との題で、寄稿しています。分かりやすいので、紹介したい。

 まず人々を救え
 玉川 徹


 2020年はコロナ禍の1年となってしまいました。そして、まだパンデミック(世界的大流行)は続いています。今後を考える上でも、1年を通じた検証が必要です。
 この感染症が流行しているのは日本だけではありません。故に、諸外国の成功例と失敗例を知ることができます。米国の有力なシンクタンク「INET」は経済と感染症対策の相関関係について、報告書を出しました。「経済を救うには、まず人々を救え」とのタイトルで、「感染抑制に成功している国ほど経済の落ち込みが小さい」と結論づけています。
 成功しているのは中国、オーストラリア、台湾、ベトナム、ニュージーランド、アイスランドなどで、「ウイルスが抑制できれば、経済は自ら修正を始める」と分析しています。

 一方、感染が収まっていない段階で経済にかじを切った欧米諸国は、その後も感染が抑えられず、経済も悪化しました。つまり「二兎追う者は一兎をも得ず」が教訓です。
 ではどうやって感染を抑制したのでしょうか。大きく分けると、ニュージーランドのようにロックダウンで抑えこんだ国、もうひとつは、ベトナムや中国のように大規模検査と無症状感染者と非感染者を分離した国です。手法は違えどもウイルスを根絶しようとした国は制御に成功しています。まずはウイルスの根絶をめざし、成功したら経済を修正させる。ぜひ、わが国も学びたいところです。
(コメンテーター)
 

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片山善博著「知事の真贋」

2020年12月19日 12時41分49秒 | 日々の雑感
 この本は、今年10月に出版された新しい本である。
 宣伝には、
「新型コロナ対応では各都道府県の知事たちの言動が注目された。国の方針に唯々諾々と従うだけの知事もいれば、現場の実態に基づき臨機応変に対応した知事もいた。マスコミ露出の多寡ではわからない「知事の実力」とは何か。前鳥取県知事が自らの体験を元に解説する」
と書いてある。

 片山氏は、テレビのコメンテーターとしても、頻繁ではないが、ときたまお目にかかる。落ち着きがあり、淡々として話す口調に好感をもって聞いていた。私の記憶では、鳥取県知事時代、鳥取県西部地震の際、はじめて、個人の家の損壊に補償をした知事と記憶している。

 まず最初に取り上げていたのが、今年の春の安倍首相の「一斉休校要請」です。片山氏がいうには、そもそも総理大臣には休校を要請する権限はないのです。安倍首相は「単なる願望を述べただけと言うかもしれませんが、影響力の大きい総理大臣があんなことを願望で述べてはいけないというのです。
 野党でも「科学的根拠はあるのか」と質問した人はいても、法治国家で「法的根拠を問うた人はいなかった」と批判しています。
 公立学校の開校や閉校に権限をもっているのは、学校設置者の教育委員会です。
 ですから、桜川市教育員会は、要請がでてから、準備に時間をかけ、翌週の週末から休校にしました。これは、「賢かった」と、私は評価しています。
 
 その他、コロナ感染症に対応する知事のことを書いていますが、私が一番関心をもったのは、最後の「東京都を東京市復活」するというに提言です。
 私は生まれは、新潟県佐渡ですが、小学生2年のとき、東京都小金井市に引っ越し、大学2年生まで、東京で育ちました。
 大阪では「大阪都構想」が2度の市民投票で否決となりました。
 東京都知事は、「県知事」と「東京市長」の2役をやっているというのです。これは一人ではできないと言うのです。橋下徹元大阪府知事、大阪市長に聞いていただきたい主張です。

 片山氏の文章は、本当に分かりやすく、説得性がありますので、地方公共団体の職員にはお薦めの1冊です。

 
  

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原田伊織・森田健司対談「明治維新司馬史観という過ち」を読む

2020年12月19日 11時43分07秒 | 日々の雑感
 一昨日の夕方、この一週間忙し過ぎたのか、腰が重くなってきた。そこで金曜日は休養日ときめて、笠間図書館に、木曜日の夕方、本を借りに行ってきました。以前、笠間図書館に行ったとき、「コロナ感染のとき、打つ手がありませんので、笠間市外の方には貸せません」と言われたことがあるので、事前に連絡したところ、「入口に名前を書くカード」があるので、そこに書いてくれれば貸し出しOKということで、5時過ぎに借りにいきました。
 あとで追々、紹介しますが、返却日が来年1月7日と長くなっているので、14冊も借りてきました。

まず読んだのが、原田伊織・森田健司対談「明治維新司馬史観という過ち」(悟空出版1500円)です。
 私は、明治維新の歴史は、主に司馬遼太郎の本で学んだといって良いかもしれません。「龍馬がいく」「燃えよ剣」「翔ぶがごとく」「坂の上の雲」などである。もちろん、小説であるから、フィクションであることは分かっているが、「明治維新のイメージ」は、なんとなく、自分なりのイメージをもっていた。
 ただひとつ、司馬氏が、15年戦争(アジア・太平洋戦争)をあれだけ否定していたのに、その前哨戦となった、日露戦争を、「ものすごく肯定的に描いていた」ことだ。それが、「坂の上の雲」であった。

 原田氏は、「司馬史観の問題の軸は、大東亜戦争に至る時代を『民族の歴史として連続性を持たない時代である』と何の根拠もなく決め付けたことです」と言い切っている。
また、言っています。
 「『特に昭和15,16年頃からの敗戦の20年までは異様でした。あれは日本史の鬼っ子です』ですの一言で済まされると何も言えません。分析もなにも要らないです。文学者として非常にすばらしい表現だとするとなら、だからこそ、これを歴史にもってくると危ない」
 さらに言っています。
「「司馬さんの小説によって日本史を学ぶなんてことをすると、『歴史は偉人たちが作った』と信じ込んでしまうはずです。でも、実際の歴史は、有名な偉人たちだけでなく、名もなき庶民によっても作られています。これを認識しない限り、健全な歴史観は身につきません」

 この言葉は、私の参考になりました。

注)最近、NHK出版から「『司馬遼太郎』でまなぶ日本史」という本が出ています。




 

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自己恩赦の政権ー北丸雄二氏

2020年12月18日 17時03分27秒 | 日々の雑感
 今日も東京新聞・本音のコラム欄から紹介したい。

 自己恩赦の政権
 北丸雄二


 前回「PCR無料検査を一般開放できないものか」と書いたら、「偽陰性もあって信頼できない」「検査直後に感染するかも知れない」「陽性でも仕事や差別で心配で”隠れ陽性”が増えるだけだ」と言われました。TVで似たことを言うコメンテーターがいて私は良く理解できないのですが、偽陰性でも隠れ陽性でもそういう無症状感染者は今もいて、そうとはしらず感染者を増やしています。すなわち、検査で感染が「増える」わけではないのです。逆に検査で陽性とわかればその何%かが自主隔離して、感染リスクは絶対に「減る」。それ以外の抑止策はマスクと距離しかありません。

 偽陰性や直後感染はしょうがない。しかし陽性と判定されれば自主隔離が責務だと意識する。その意識の高さがその社会の民度の尺度です。
 だけど、自粛だ、義務だ、意識の高さだ、ばかりじゃ実に窮屈。そこに昨日は朝から「首相が5人以上で会食」のニュースで各局とも「謝れ、謝れ」めいたギスギス感。
 自粛も義務も取りこぼしを想定してこそ大人の社会。そこを見越さぬ政治は圧政です。なので「5人以上が一律にダメなわけではない」で顰蹙の西村大臣も、それが国民であったら一理あった。でもその実はまた政権の自己弁護でした。森加計桜とずっとそれ。どっかの意識の低い系の大統領の自己恩赦を笑えません。
(ジャーナリスト)

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