今日は、富谷山へ車で登ってみました。
この写真は、仁王門です。
目的は、富谷山の五月女鉱業の採石工事の現場を、正月休みに、登って見るために、まず、展望台の脇から、行くことが可能かどうかを、調べることです。夏は通れないほど生茂っていた草は枯れていましたが、普段着ではむりと分かりました。
そこで、富谷観音小山寺をお参りに行きました。ちょうど、お正月の準備のために、和尚さんと地元の方が3人ほどいて、お話ができました。
以前、ここの住職をされていた川上和尚は、今年夏に亡くなったとのことでした。川上和尚とは、私が、鬼怒商業高校時代、川上教頭としてお世話になった方です。あれから30年も経つのです。川上和尚とは、私が利用している武井床屋に来ていたので、たまに一緒になることがありました。
その後、月山寺から和尚さんが通っているとは聞いていましたが、その方は、月山寺をやめて、富谷観音小山寺の住職になったとのことで、丹治純孝氏という方で、私と名刺交換をしてきました。今は、お寺には住めないので、旧協和町の新治のアパートをかり、通っているとのことでした。
お寺の敷地は、イノシシが坂を荒らしたところへ、昨年の大雨で崖崩れが、あちこちに起きていました。
私も何とか、市や県に働きかけてみますと約束をしてきました。
今日は、2500歩しか歩きませんでしたが、枯れ葉ですべる坂道を歩いたので、足が筋肉痛になりました。
この写真は、仁王門です。
目的は、富谷山の五月女鉱業の採石工事の現場を、正月休みに、登って見るために、まず、展望台の脇から、行くことが可能かどうかを、調べることです。夏は通れないほど生茂っていた草は枯れていましたが、普段着ではむりと分かりました。
そこで、富谷観音小山寺をお参りに行きました。ちょうど、お正月の準備のために、和尚さんと地元の方が3人ほどいて、お話ができました。
以前、ここの住職をされていた川上和尚は、今年夏に亡くなったとのことでした。川上和尚とは、私が、鬼怒商業高校時代、川上教頭としてお世話になった方です。あれから30年も経つのです。川上和尚とは、私が利用している武井床屋に来ていたので、たまに一緒になることがありました。
その後、月山寺から和尚さんが通っているとは聞いていましたが、その方は、月山寺をやめて、富谷観音小山寺の住職になったとのことで、丹治純孝氏という方で、私と名刺交換をしてきました。今は、お寺には住めないので、旧協和町の新治のアパートをかり、通っているとのことでした。
お寺の敷地は、イノシシが坂を荒らしたところへ、昨年の大雨で崖崩れが、あちこちに起きていました。
私も何とか、市や県に働きかけてみますと約束をしてきました。
今日は、2500歩しか歩きませんでしたが、枯れ葉ですべる坂道を歩いたので、足が筋肉痛になりました。