菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

重弘忠晴著「仮説実験授業の提唱」を読みはじめました③

2020年04月22日 17時22分47秒 | 仮説関連
 仮説実験授業は、発足当初の草創期、犬塚清和さんらが活躍し始めた、成長期、遅ればせながら、私らも参加した最盛期の3段階に分かれると思っています。
 板倉氏は、どのようなきっかけで、仮説実験授業を創造したのだろうか。重弘氏は、影響を与えた一つが、アメリカではじまったPSSC物理だという。私が高校の教員になったときも、教育課程研究会では、PSSC物理が盛んに推奨されていた。ハードカバーの分厚い本で、持ち運ぶのにも骨が折れたものだ。あのころは、記録タイマーという実験器具を使って、落下運動の記録をテープにとり、点と点の間隔の距離をはかり、グラフ化して、解析したものだ。速度は生徒さんも理解してくれたが、加速度を理解してもらうのは、大変だった。
 
 このPSSC物理は、人工衛星競争でソ連に負けた、アメリカが、国力をあげて科学教育の変革をはかった成果であった。板倉氏は、「真の科学教育を貫く」に学習指導要領の枠にとらわれていてはダメだと、このころから、明言していた。しかし、多くの大学の先生も、科学教育研究協議会も、日教組の教育研究集会にあつまる先生も、この学習指導要領の枠から離れた、指導方法は考えつかなかった。1990年代に、日教組の教育研究集会に、「仮説実験授業は高校教育に有効か」というテーマで研究発表したときも、ほとんどの参加者は、名前はしっていても、私もやって見ようという人は、ほとんどいなかった。私は、板倉氏と他の先生方の違いは、ここにあると考えている。

 だから、仮説実験授業は、私学の小学校からスタートした。学習院付属小学校、成城学園小学校、和光小学校などである。このころの記録を読むと、発足時の情熱というのはすごいものである。新しいものを作り出すときのエネルギーはを、重弘氏は、資料に忠実に、書いている。


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