ついにくるものが来てしまった。
ついに、板倉先生も原子に戻られてしまった。
私が仮説実験授業にのめり込んでしまった、その仮説実験授業の創始者・板倉聖宣氏が逝去した。
今日、板倉聖宣さん逝去と葬儀のお知らせのハガキが届きました。
私が、仮説実験実験授業と出会ったのは、雑誌「たのしい授業」を読んだ時からでした。私が20年居続けた真壁高校から、初めて転勤したのは鬼怒商業高校でした。そこには、組合運動でしりあった社会科の教師・野村弘志先生がおられ、「たのしい授業」を紹介してもらいました。
あの時代は(私が42歳の時)、きびしい授業の時代でした。軟弱派の教師は「なめられている」と。腕力のある先生が幅をきかせている時代でした。強くなりたいと、少林寺拳法を習った先生もいました。
そんなとき、「たのしい授業」が成立する方法がある。全く信じられませんでした。早速、仮説社に連絡をいれ、バックナンバーを全部購入しました。毎晩、毎晩、むさぼるように読んだことを思い出します。
しかし、体験してみないことには、信じられません。1993年の川崎市で行われた、「たのしい授業体験講座」に参加し、さらには、仮説実験授業の研究大会にも参加、冬の大会にも参加し、板倉先生ともお話できるようになりました。
いろいろ書きたいことは沢山あるのですが、2つだけ書きます。
1つは、板倉先生の話は何回聞いても、飽きないと言うか、同じようなことを言っていても、何か、味が違うのです。いつだか忘れましたが、ある合宿研究会で、2泊3日間、板倉先生の話を聞きっぱなしで、まったくあきがこない自分に、われながらあきれたものです。
もう一つは、「いい文章が書けないのは、いい読者をもたないからだよ」と言われたことです。「誰に向かって書いているか、読んでどう評価してくれるか、そこがなくては、いい文章は書けないよ」
いまこうやってブログを書いているときも、私は読んでくださる人の顔を想像して書くようにしています。
葬儀は、2月15日です。私は、無宗教の葬儀に列席したことはありません。自分の葬儀のためにも、無理をしても参加したいと思っています。