菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

「子ども無邪気論」を嗤う

2017年12月12日 16時00分04秒 | 日々の雑感

 久しぶりに、「虚数の情緒」著者の言葉から、引用してみたいと思う。
 
 それは「子供は無邪気か」と題して、こう書いてある。

 人皆すべて経験済みの筈である「子供」たるのもが全く理解されていないのは、考えてみれば不思議なも話である。「子供」に関する最も幼稚で、然も通りの好い俗論が「無邪気な子供」という表現を多用する子供天使論である。諸君は本当に美しかったのだろうか。

 小学校はおろか、幼稚園ですら、そこは生存競争の修羅場以外の何物でもない「戦場」である。そこには大人顔負けの邪気に充ちている。優越感、劣等感、虚栄心、嫉妬、激しい自己顕示、嘘、謀略、おもねり等々。書き出したらきりがない。一体どこに”邪気が無い”のだろう。

 斯くのごとき、自ら省みて尚、否定する方が、これまた信じられないくらい多数派なのである。これが不思議でなくて何だろう。

 ここでは、以上述べた子供の特徴を「在ってはならない悍(おぞ)ましき事」として論じたいわけではない。寧(むし)ろ反対に好ましいとは言わないまでも、人間が単純で動物的な自己防衛本能から脱し、成長していく過程に不可避な必要悪として積極的に認めるべきである、と言いたいのである。即ち、「子供は、無邪気ではなく、有邪気である」と。

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 注)
 このようなここまで読んできて、私の脳裏をよぎるのは、過日、「みかどや」で開かれた真壁高校生のクラス会である。
 今は、50歳近くなった大人も、高校生時代は、やんちゃそのものであった。

 まさに「戦場」であった。もちろん、いじめもあり、優越感、劣等感、自己顕示欲、なんでも経験できた。
 高校時代に、いろいろ「悪さ」を経験したからこそ、今は、「はみ出す限界をわきまえた大人」になったのだろう。はみ出すという失敗をしなければ、学べない。

 著者の言葉はまだ続く。

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 このような子供のもつ、まさに自己本位の如き自己本位の考えを正して、よく自己抑制できる大人へと成長させるための助力が、即ち「教育」である。そして、「人が人として生きるための最低限の教育は「躾(しつけ)」と呼ばれている。

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 注)
 「子供無邪気論」をここまできちんと批判した本を、私は知らなかった。

 本当に、この本と、もっともっと早く出会いたかった。






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糞土師・伊沢正名さんのこと(冨谷在住)

2017年12月12日 15時27分17秒 | 桜川市

 この記事は、糞土師・伊沢正名でHPを検索してください。


 
 

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