今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

マリヤの美しい行為

2013-12-26 00:04:25 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ26:1-13)

[ するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。](10節)

主に対する聖徒の献身と忠実は、時には周りの人々の反対を受けたり、非難にも直面します。会計を任されていたイスカリオテ・ユダは 物欲によって、そこからお金を盗んでいましたし、それも知らない他の弟子たちはいつの間にか、そこから悪い影響を受けていて、共にイエス様に香油を注いだ女の人を非難しました。

主に対する献身的な行為なのに、主の弟子たちの反発にぶつかった時に、イエス様は彼女のなさった行為を高く評価しました。聖徒たちは 周りの人たちから良い評判を得ようと努力するものではなく、主から褒められるために励む者でなければなりません。

どんな非難があっても主への献身と忠誠は主が喜ぶことです。

(ヨハネの福音書12:3 -- マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。)


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羊と山羊のたとえ

2013-12-25 00:02:24 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ25:31-46)

[ いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』](38-40節)

“羊と山羊のたとえ”は、再臨のキリストが行う さばきの基準が何かを教えていますし、聖徒たちに愛を実践することこそ、主の再臨を一番立派に備える方法であることを強調しました。

或る人は このたとえを誤解して、まるで最後の審判は救いの基準が 行い だと勘違いをしますが、このたとえは 人間の救いの条件が善行というのではなく、救われた人々が隣人に対して 主の愛とみことばを実践する義務があることを教えています。

聖徒の愛は理論ではなく、具体的で実践的な助けが必要であることを意味します。

(ヤコブ2:15-16 -- もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。)


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良い忠実なしもべとは?

2013-12-24 00:01:56 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ25:14-30)

[ その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』](23節)

神様が聖徒たちに与えた時間、才能、賜物は それぞれ違い、また使命も違いますが、聖徒たちに要求するのは たった一つ“忠実”です。

もし「主の再臨を待ってます」と言いながら、天だけ見上げながら何もせずに生きている人がいるならば、その人はまるで主人からもらった1タラントを地の中に隠しておいて、何もしなかった悪い無益なしもべとみなされ、天の御国の栄光を受けるにふさわしくない者として、外の暗闇に追い出されてしまいます。

ですから、聖徒たちは自分にある健康、知恵、力、才能をないがしろにしたり、地の中に隠したりしないで、それを用いて忠実なしもべにならなければなりません。

(ローマ12:11 -- 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。)


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十人の娘のたとえ

2013-12-23 00:00:23 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ25:1-13)

[ そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。](1-4節)

このたとえは、終末に備える聖徒の姿勢を教えるたとえです。

花婿は再臨する「イエス・キリスト」、そして十人の娘は「聖徒」を指しています。“ともしび”は聖徒たちの 信仰の姿、“油”はその信仰を維持させていく 聖霊 を象徴します。

愚かな5人は信仰の形はありましたが、聖霊の働きのない信仰生活をしていました。賢い5人の娘は、主の再臨の時は知らないですが いつも目をさまして主の再臨を待ちながら迎える準備をしっかりとしていました。

この姿こそが主のみこころに適う姿であり、主が喜ぶ信仰の姿勢です。

(第1テサロニケ5:6 -- ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。)


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忠実な賢いしもべとは

2013-12-22 00:04:50 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ24:45-51)

[ 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。](45節)

終末の時代を どのように生きるのがふさわしいかを教えて下さいました。

しもべは主人ではないですが、主人の心と主人のように責任ある態度で 主人から任された働きをしながら生きることです。

イエス様は、私たちが “自分の働き” として 積極的に責任ある姿勢で、主から受けた奉仕をすることを願っておられます。

教会の働きを 教会の主人のような態度ですることが主は求めておられます。

( I コリント4:2 -- この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。)


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